【ナムジュン・パイク略歴】
1932年、韓国ソウル生まれ。
1956年、東京大学文学部美学・美術史学科卒業。
1956年 ドイツに渡り、ミュンヘン大学で音楽史を学ぶ。フライブルグ高等音楽院で作曲を学ぶ。
1962年 フルクサスの活動に参加。東京、ローマでの展覧会に出品。
1964年 ニューヨークへ移住。
1965年 ニューヨーク、ニュー・スクール・フォー・ソーシャル・リサーチにてアメリカでの初個展。
1977年 ビデオ・アーティスト久保田成子と結婚。ハンブルグ美術大学で教鞭をとる。
1982年 ホイットニー美術館で大回顧展
1984年1月1日、衛星中継番組「グッド・モーニング・ミスター・オーウェル」が米、仏、西独、韓国などで放送される。
1993年 第45回ヴェネツィア・ビエンナーレに招待出品。
1998年 京都賞受賞。
2000年 米韓で大規模な回顧展。ウィル・グローマン賞受賞。
2006年1月29日、アメリカ合衆国フロリダ州マイアミの別荘で死去。
ビデオ・アートの開拓者としてよく知られるナムジュン・パイク。ナムジュン・パイク アート・センターは、韓国のソウルから車でおよそ2時間かかる京畿道に位置し、京畿道の道立美術館の一つとして運営されています。
〈アート・センターの外観〉
パイクの生前である2001年から設立の企画が開始され、2008年に着工されたこのアート・センターは、パイク本人から〈ナムジュン・パイクが長生きする家〉という名を付けられました。
その施設をちょっと見てみると、全面積5,605㎡の地下2階・地上3階の建物には、1~3階の展示スペースや、資料室、アトリエ・スタジオ、収蔵庫、研究室などが揃っています。2,285点の収蔵品の中、常設展示されている作品は、例の〈三元素〉、〈TV魚〉、〈TV時計〉、〈ロボット456〉など、彼を代表する作品揃いで、「いつでも会えるよ!」と言うように来客を迎えています。
〈1階の展示風景〉
〈2階の風景〉
まるで普通の家のようにいくつかの部屋に区切られた1階の展示場から2階への階段を上ってみると、1階の展示場全体を見渡すことができます。中でも、1階からではなかなか分かりにくかった大きな作品群の全てを見ることができ、とても新鮮な風景でした。流石〈ナムジュン・パイクが長生きする「家」〉です。
〈3階の展示風景〉
自分で名づけたアート・センターが着工する直前に伝えられたパイク死去の報に接し、とても残念に思った人も多いことでしょう。
しかし、寛容的でありながら批判的であったナムジュン・パイクの芸術精神、そして「アートは、チャレンジである」と言った彼の話のように、ナムジュン・パイク アート・センターがこれから見せてくれる新たな展開はとても楽しみなものに違いありません。
以下は、2004年のニューヨークにて、韓国の朝鮮日報、Jung,JaeYen記者が取材した記事を訳したものです。ナムジュン・パイクのアートの世界をより身近に感じることができますように添付いたしました。
【2004年のある日、ニューヨーク】
-今一番やりたいことは何ですか?
「ウム。。恋愛!」
-恋愛はかなりの経験のお持ちではないでしたっけ?
「それが、まだ足りないの。」
-みんな先生を天才と呼びますね?
「いや、天才じゃありません。それはお世辞。」
-でも、美術史に残る偉大な芸術家ではあるでしょう?
「残るのは残るはず。」
-どんな芸術家としてですか?
「メディア・アーティスト。」
-それだけじゃ、ちょっと足りない気持ちになりません?
「じゃ、どうするの?」
-ビデオ・アートの創始者はいかがでしょう?
「どうでもいい。自分の仕事さえできるならばね。」
-恋愛の他にアート的にはなんかやりたいことはありませんか?
「本を書きたいね。自叙伝。英語で書くつもり。」
-タイトルは?
「スクルタブル・オリエンタル(scrutable oriental)。〈わかりやすい東洋人〉の意味なの。みんな東洋人に〈スクルタブル(scrutable)〉と言うからね。しかし韓国人はちょっと違うね。正直というか。。。」
-韓国人に言いたいこととかありますか?
「いっぱい働いて、いっぱい遊んでね!って。」
-遊びって大事ですか?
「大事。」
-良い遊び方は何でしょう?
「いっぱいお酒飲めば良いの。マッコリ(お酒の一種)をいっぱい飲んだら良い。」
-一番素敵な芸術家って誰でしょう?
「ウム。。ヨーゼフ・ボイス、ジョン・ケージだろう。」
-お体がちょっと不自由で、作業に不便ではありませんか? 治療も真面目に受けていないと聞きましたが。(この頃のパイクは、病気で車椅子に乗っていました。)
「元々怠け者なのよ。」
-手が不自由なら作業する際にいらいらしませんか?
「もちろん。しかし、私はコンセプチュアル・アーティストだから大丈夫。頭も大丈夫だし、話もできる。いらいらしたりはしないね。」
-ニューヨークに来てから40年、〈グッドモーニング・ミスター・オーウェル〉の発表からは20年ですね。あっという間ですね?
「そうね。仕方ないだろう。」
-どうしてニューヨークが好きなのですか?
「暑いから好き。犯罪も多いし。」
-だからお好きですって?
「アートはそこからだよ。人生がくさったらアートになり、社会がくさったらアートになるの。」
-以前、〈アートは詐欺〉と言いましたね?今度は〈社会がくさるとアートになる〉ですって?
「その通り。」
-何の意味ですか?
「そんな意味なの。」
-では、ソウル(韓国)ももっとくさったら芸術家がいっぱい生まれますかね?
「そうね。ソウルも腐敗してる。だからこそもっと良いアートが生まれるはずだ。」
-ナムジュン・パイクってどんな人ですか?
「わたし? バカ者。」
-どうしてですか?
「バカだからバカだろう? バカなの。バカ。狂ったやつ。」
-若い頃、狂ったやつってよく言われましたよね?
「もちろん、アメリカでは未だに言われる。」
-そう言われて大丈夫ですか?
「しょうがないじゃん。私はスノッブ(snob)だから。名声を楽しんでる。お金は持ってないけど名声は持ってた。」
-いったいどうしてピアノを破ったり、ネクタイを切ったりしたのですか?
「それが、ダダイズムだから。」
-人生って何ですかね?
「人生は、くさったマッコリだ。」
-それはどんな味ですか?
「知らん。私もまだ味見してないからね。すっぱいだろう?」
-最近も熱心に新聞を読んでいらっしゃいます?
「韓国の新聞、ニューヨーク・タイムズなどなど読んでる」
-アメリカ大統領選挙にご興味ありますか?
「うん。ケリーが勝って欲しい。平和主義者だから。」
-いつかは韓国に帰りたいですか?
「うちの家内が亡くなったらね。(愛情たっぷりの声で)家内はなかなか死なないの(笑)。元はビデオ・アートをやってたけど、私のせいであんまりやれなくて、すまない。」
【観覧概要】
日~木曜日:午前10時~午後7時
金~土曜日:午前10時~午後9時
*年中無休
*入場料:無料
< 執筆:W>
続きを読む
月別アーカイブ: 2010年5月
松園・清方・深水 美人画の競演
5月22日(土)の近代美術オークションには、美人画の名品が多く出品されます。今回はその中から、選りすぐりの3点をご紹介いたします。
その前に、まず「美人画」のお話を少し。
「美人画」のはじまりは、江戸時代の浮世絵です。奈良や平安の頃から美しい女性を描いた絵巻や屏風はありましたが、町娘や遊女などをモデルに女性の美しさを追求するようになったのは、菱川師宣や喜多川歌麿など、浮世絵の美人絵の絵師たちでした。美人絵は、江戸時代、およそ150年に渡って流行し、百花繚乱の様相を呈しました。
しかし、幕末になると、美人絵は次第に退廃的な官能美へと向かっていき、明治に入ってから山水画や花鳥画が日本画の一ジャンルとして確立していく中で、あまり高い評価を得られませんでした。
明治時代後半、美人絵を肉筆による近代的な「美人画」として新しい感覚で蘇らせたのが、鏑木清方や上村松園です。清方をはじめ、江戸の浮世絵の流れを汲む画家たちと、松園ら、京都の円山四条派に派生する画家たちによる優れた制作と努力によって、「美人画」は日本画の重要なジャンルとして確立し、高く評価されるようになりました。
まず、「西の松園・東の清方」と称された二人の美人画の名手の作品をご紹介いたします。
Lot.98 上村松園《新蛍》
46.5×50.8cm
絹本・彩色 軸装
右上に落款・印
共箱
東京美術倶楽部鑑定委員会鑑定証書付
エスティメイト \8,000,000.~14,000,000.
上村松園(1875-1949)は京都の町家生まれ。20歳のとき竹内栖鳳に師事。初期から晩年まで、一貫して美人画を描き続け、近代の美人画を導き続けました。1948年女性としてはじめて文化勲章を受章。日常を生きる人間としての女性美を女性自身の心と眼差しで捉え、気高く描き出した画家です。
こちらはこれからの季節にぴったりの作品です。松園は初夏の風物詩・蛍を愛でる女性というモチーフを好んで描き、同じ画題では昭和4年作(山種美術館蔵)や昭和19年作(東京国立近代美術館蔵)がよく知られています。「すだれ越しの女性」は、浮世絵に多く登場する題材で、透かしの奥に女性を配することにより、余情、奥ゆかしさといった日本的な美意識を表現し、風の動き、夏の涼を演出するものです。松園はその技を学んだ上で、浮世絵の主な鑑賞者であった男性の好みに添った視点を、松園の理想とした自立した女性のそれに置き換え、計算され尽くした巧みな画面構成により全く異なる美的世界を創造しています。「一点の卑俗なところもなく、清澄な感じのする香高い珠玉のような絵」を目指し、日本女性の美の極みを表現した松園を象徴するような作品です。
【オークション終了につき、図版は削除いたしました】
Lot.86 鏑木清方《紅筆》
114.3×50.7cm
絹本・彩色 軸装
大正3年(1914)作
右下に落款・印
共箱
東京美術倶楽部鑑定委員会鑑定証書付
エスティメイト \2,000,000.~3,000,000.
鏑木清方(1878-1972)は東京神田生まれ。13歳で浮世絵の流れを汲む挿絵画家・水野年方に師事。挿絵画家として活躍した後、1907年から官展へ本画を出品し、日本画家としての地位を確かなものにしました。関東大震災を機に東京の姿が一変すると、江戸の面影を残した明治の下町の風俗に思いを寄せ、女性をモチーフに往時の人々の情緒溢れる日常の情景を描きました。
本作品は1914(大正3)年作。1907年に文部省主催の美術展覧会(文展)が開設されると、当時の青年画家たちは画壇の登竜門としてこの展覧会での入選を目指すようになります。この時期、本画制作に精力的に取り組んだ清方も毎年文展に出品し、画家として大きく飛躍していきました。美人や風俗を描いた日本絵画の系譜を遡り、喜多川歌麿や勝川春章、鈴木春信らの浮世絵諸派をはじめ、近世初期風俗画までの伝統表現を研究した上に、清新な女性像を作り上げていったのです。本作品では、女性の黒目が印象的な顔立ちや画面いっぱいに人物を描く構図が、この時代の作風をよく示しています。若い女性が紅をさす所作が醸し出す情感と、たっぷりと波打つ着物の華やかで洗練されたデザインが魅力的な作品です。
松園や清方らの活躍で、大正、昭和の美人画は画壇において高く評価されるようになりました。彼らに続いて多くの日本画家たちが美人画を描きましたが、戦後の美人画を担った画家といえば、清方の門下生・伊東深水です。
【オークション終了につき、図版は削除いたしました】
Lot.93 伊東深水《静座》
55.0×46.0cm
紙本・彩色 額装
右横に落款・印
共シール
東京美術倶楽部鑑定委員会鑑定証書付
エスティメイト \3,000,000.~4,000,000.
伊東深水(1989-1972)は東京の深川生まれ。13歳で鏑木清方に師事。16歳の若さで院展、翌年には文展に入選するなど早くから頭角を現し、以降、日本画壇の中核を担い続けました。女性像に自らの理想を追求しながら、時代の風俗や流行をも描き込み、モダンで品格ある作風を展開。浮世絵の伝統を今日に受け継いだ、「最後の浮世絵系美人画家」と称される画家です。
戦後の深水が得意とした、洋髪和装のモダンな女性像です。落款・印から、昭和30年代以後の作でしょうか。この時期の深水は、色彩や線描、構図などにおいて、余分な要素を削ぎ落とすような作風へと向かっていきましたが、本作品においても無駄のないすっきりとした構成が見て取れます。ここでは、《静座》という画題の通り、女性が心を落ち着けて静かに座っている様子が描かれています。気品の漂うその姿には、深水が追求したいつの時代も変わらない日本女性の美しさの本質とともに、当時の若い女性らしい凛とした雰囲気が描き出されています。
ぜひ会場で三作家三様の美しさをご堪能ください。
みなさまのご来場を心よりお待ちしています。
下見会スケジュールはこちら
(執筆:S)
続きを読む
PartⅡ下見会@銀座
今週は銀座で近代美術PartⅡ、明日からは大阪でも近代美術とジュエリー&ウォッチの下見会を開催いたします。
今回は銀座会場の様子を少しご紹介いたします。
1Fの日本画のコーナーには、目黒雅叙園コレクションの作品が展示されています。なかでも、今回ご注目いただきたいのは「歴史画」です。
目黒雅叙園コレクション
歴史画とは、その名の通り、歴史上の人物や出来事を描いた作品を指します。
こうした題材は、古くから伝統的に絵巻などに描かれてきましたが、明治に入り、政府の芸術政策を一手に担った岡倉天心の指導によって、近代国家の発展のための重要な絵画という新たな意義がもたらされ、確立したジャンルです。天心は、歴史上の著名な人物や出来事を重んじることが、新しい日本のために必要だと考えたのですね。歴史画はそのプロパガンダとしての役割を担い、日本画だけでなく、洋画でも描かれていきました。
このジャンルで特に有名なのは、小堀鞆音(こぼり ともと)や松岡映丘ら官展系の作家や、安田靭彦、前田青邨、小林古径といった院展系の作家たちです。
圧巻の歴史画です。
歴史画はなんといっても、描かれた時代に連れて行ってくれるような、ロマン溢れる世界観が魅力です。今回出品されるLot.740林雲鳳《安宅》やLot.741森戸果香《斉藤別当》では、武将が身に付けた武具や装束、傍らにある道具などが、細やかに表現され、その場面の緊張感や人物たちの息遣いが伝わるようです。
また、Lot.743小山栄達《阿修羅》では、合戦の場面が幻想的に表現されています。どの作品も歴史画らしい品格と画家の技量の高さを感じさせますね。
B1Fでは、洋画や外国絵画、絨毯などを展示しています。
今回の洋画は、織田広喜の作品が充実しています。
織田広喜コーナーです
織田広喜(1914- )は福岡県生まれ。少年時代、村の寺で墨絵を習い、のちに仏画家・犬丸琴堂に油絵の手ほどきを受けます。1939年日本美術学校西洋画科卒業。1940年二科展に初入選。1948年洋画家・岡田謙三の家に住みこみ、制作に励みました。1950年二科会員となって以降、同会展に出品を続けます。1960年初の渡仏、以降取材のため、たびたびフランスを訪れます。1968年二科展にて内閣総理大臣賞受賞。1993年勲四等瑞宝章受章。1994年日本芸術院賞を受賞し、翌年、日本芸術院会員となりました。2006年二科会理事長に就任。哀愁漂う都会の情景と物憂げな雰囲気の女たちを描く、洋画界の重鎮です。
Lot.627《セーヌ河畔》やLot.630《白鳥と少女たち》など、100cmを超える大作では、織田作品の幻想的な世界に入り込んだかのような独特な雰囲気に包まれます。また、Lot.619《若き日のリラ》は、画家の愛妻を描いた作品です。ほかにも女性像がたくさん出品されますが、どの女性もアンニュイな雰囲気が魅力的です。合計18点出品されますので、織田広喜ファンの方はぜひご覧ください!
みなさまのお越しを心よりお待ちしています。
下見会スケジュールはこちら
(執筆:S)
続きを読む
中国コンテンポラリーアート、30年の歴程
5月1日、ついに上海万博が開幕しました。早速会場に足を運んできましたが、スケールの大きさ、奇抜なデザインのパビリオンの数々に驚かされました。昼間はもちろん、夜はライトや映像を駆使した演出が美しく、違った風景を楽しむことができます。また彫刻プロジェクトとして園内に36体の彫刻作品が設置されているなど、アート関連イベントも行われています。これに関しては後日お伝えいたしますのでお楽しみに。
美術館の外観
会場入り口にずらりと並んだポスター
本展覧会では、文化大革命が終結し、改革開放以降に活躍しはじめた中国を代表する80名のアーティスト、約100の絵画作品が展示されています。
80年代初期に農村の人々の姿をありのままに描く表現でセンセーションを巻き起こした陳青丹(チェン・チンタン)や羅中立(ルオ・ジョンリー)の「郷土絵画」と呼ばれる写実主義からはじまり、90年代以降の王広義(ワン・グワンイー)、方力釣(ファン・リジュン)、岳敏君(ユエ・ミンジュン)等の「ポリティカル・ポップ(政治波普)」、「シニカル・リアリズム(玩世現実主義)」の代表作、劉小東(リュウ・シャオドン)の三峡ダムで働く労働者を描いた大作、また曾梵志(ズン・ファンジー)等海外のオークションでも人気が高いアーティストや、ここ数年活躍が著しい若手アーティストの作品もずらりと並び、見応えのある展覧会となっています。
特に、家族の肖像を描いた血縁シリーズで世界的に知られる張暁剛(ジャオ・シャオガン)に関しては、全く作風が異なる80年代の作品と、血縁シリーズの作品、両方を比較することができ、大変興味深かったです。
展覧会カタログとは別に制作された本。充実した内容に展覧会への熱意を感じる。
レッドタウンの至る所にポスターが。写真は王広義の作品のポスター。
この展覧会は映像、インスタレーション、彫刻等シリーズ化されており、2012年までの3年に渡って開催されていくようです。中国のコンテンポラリーアートの歴史を俯瞰できる貴重な体験になるのではと期待に胸が膨らみます。
(執筆:M)
「中国当代芸術三十年歴程 絵画篇1979-2009」
会期:2010年4月18日~7月18日
会場:民生現代美術館
続きを読む