今日はクリスマス。みなさま、いかがお過ごしでしょうか。少々早いようですが、当社は今日が仕事納めです。銀座の街はまだクリスマスツリーがキラキラとしていますが、社内では年末らしく整理整頓と大掃除の日となりました。(もちろん通常業務もきっちり行いました!)
今年もみなさまには大変お世話になりました。今年のシンワの大きな出来事といえば、初めて海外でオークションを開催したことでしょうか。2009年は、記念すべき創立20周年の年となります。来年も、引き続きご愛顧いただけますよう、よろしくお願い申し上げます。
明日から当社は冬季休業に入ってしまいますが、シンワアートミュージアム(当社1階)では27日(土)まで「via art 2008 EFD」を開催しておりますので、ぜひぜひお越しくださいね!作品の展示のほかに、明日は多方面で活躍中の漫画家、辛酸なめ子さん×美大生のみなさんのトークショー、明後日はパフォーマンスも行われる予定です。
さて、今日は来年ひとつめのオークションとなる、2/1開催の近代美術オークションの出品作品をご紹介します。みなさまへのお歳暮がわり?になりますかどうか…。
おもて:《牛の話》
うら:《人物》
Lot.14 松本竣介《牛の話・人物》
紙面:27.1×36.3cm 画面:23.7×32.9cm
紙・水彩、鉛筆 額装
1945年作
右下にサイン・タイトル・年代
東京美術倶楽部鑑定委員会鑑定証書付
エスティメイト \1,000,000.~1,300,000.
戦争とともに生きた夭折の画家、松本竣介の作品です。36歳で亡くなったために作品数も限られており、オークションに出品されること自体珍しい画家ですが、昨年7月のPartⅡオークションに素描が出品された際には、大変な人気となりました。
松本竣介は、1912年東京生まれ。少年時代に転居した岩手で、病のため聴力を失ってしまいます。しかし、それがきっかけで「見ること」に没頭し始め、17歳で画家を目指して上京。太平洋画会研究所では、靉光や麻生三郎らとともに制作に励み、ルオーやモディリアーニなどパリの画家たちに影響を受けながら、生涯のテーマとなった都市の景観に魅せられていきました。また、自宅を「綜合工房」と称して随筆・デッサン誌『雑記帳』を刊行し、美術雑誌『みづゑ』に論文を発表するなど、社会への発言を積極的に続けました。日中戦争から第二次世界大戦へと続く暗い時局の中で、政治的イデオロギーからの芸術の自立を、ヒューマニズムの立場で訴え続けた画家です。
竣介は1点の油彩画を制作するために、鉛筆スケッチ、それを構成したデッサン、原寸大の下絵、下絵に濃淡の調子を加えた素描、タブローのうち、3つから4つの工程を経て完成に導いたと言われています。「線は僕の気質なのだ」という自身の言葉通り、その作品は、伸びやかで表情豊かな線の魅力に溢れています。とりわけスケッチやデッサンは、油彩画の源泉となっただけでなく、強烈に線そのものの輝きを放ち、竣介の純粋な心と鋭い感受性を最もみずみずしく伝えるものと言っても過言ではありません。
本作品は、《牛の話》の裏面に《人物》が描かれたもの。表面《牛の話》に、「二十・二・四」と記されていることから、1945年2月に制作された作品です。中央に立つ大きな牛に、建物や人間といった都市の景観のイメージを重ねています。こういったモンタージュ風の作品は1938年頃から描かれていますが、本作品では軍艦や荷車が描かれており、激動の1945年という世相が反映されているようです。また、終焉へと向かう戦争をまるで皮肉るかのように、哀しく、ユーモラスな表情を湛えた牛の姿に、社会と向き合い、時代に抗いながらその潮流を描きとめようとした画家の気概を感じさせます。
裏面の《人物》のモデルは、その風貌から妻・禎子夫人でしょうか。1945年の3月、夫人は出産のため郷里島根県松江市に疎開しており、東京に残った竣介とは数年の間離れて暮らすこととなります。もし、表面《牛の話》と同じ時期に制作されたものならば、本作品はしばしの別離の前に描かれたものなのでしょう。目を伏せたその柔らかな表情には、竣介の妻に対する愛情が溢れています。また、夫人像の傍らには、夫人の襟元と思われる部分に注目したものと手を組み合わせたスケッチが描かれています。特に、手は、竣介が魅力を感じ、しばしば強調して描いたモティーフです。耳の聴こえない竣介にとって、手は5本の指のつくり出す複雑な形によって、ときに顔の表情よりも雄弁で直接的に語りかけてくる存在だったのでしょう。裏面に描かれたこの作品も、その瞬間、画家が強く惹かれたものが、素早く生き生きと捉えられています。
それではみなさま、よいお年をお迎えください!
来年もシンワアートオークションをどうぞよろしくお願いいたします。
(執筆:S)
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