こんにちは。
先日の近代陶芸/古美術/近代美術PartⅡオークションにご参加いただいた皆様、どうもありがとうございました。
今日は今週、3月24日(土)に開催されます近代美術オークションの出品作品の中から1点ご紹介いたします。こちらは、なんと「51年ぶりに発見された幻の作品」ということで新聞でも報道されました。
《黒き土の上に立てる女》
62.0×46.8cm
キャンバス・油彩 額装
1914年作
右下にサイン・年代
裏にサイン・タイトル・年代
劉生の会登録証書つき
エスティメイト ★\7,000,000~10,000,000
掲載文献:
『岸田劉生画集 目録・解説』P.136参考33(岩波書店)
『岸田劉生の作品に関する私ノート(郡山市立美術館研究紀要第2号)』P.67№41(郡山市立美術館)
『岸田劉生とその周辺』№2(東出版)
『劉生と御舟展図録』参考図版掲載 P.14 fig.4 1996年(豊田市美術館)
『芸術選書 岸田劉生』挿図22(中央公論美術出版)
『国際写真情報 1961年10月』
展覧会歴:
岸田劉生作品展覧会 1914年(京橋・田中屋)
第14回巽画会美術展覧会 1914年(上野竹之台陳列館)
「麗子像」の連作で知られる岸田劉生は、日本の近代美術を代表する画家の一人です。まずはその生涯についてお話します。
1891年、実業家・岸田吟香の第九子として東京・銀座に生まれた岸田劉生は、17歳のとき白馬会葵橋洋画研究所に学びました。20歳の頃、雑誌『白樺』との出会いから後期印象派の洗礼を受け、フュウザン会を結成します。その後、北方ルネサンス絵画に傾倒して写実を追求し、草土社のリーダーとしても活躍。さらに、中国の宋元画や初期肉筆浮世絵といった東洋美術に心酔し、神秘的で内省的な「内なる美」の芸術を生み出していきました。
では、本題に入りましょう。
本作品はキャンバス裏面の記述より、1914年7月25日(当時23歳)に制作されました。副題を《農夫の姫》といい、1961年に雑誌『国際写真情報』に掲載されて以来行方知れずだったと伝えられています。代々木に住居を構えたこの時期、劉生はデューラーやウィリアム・ブレイクといった北方ルネサンスや西洋古典の巨匠たちの作品に大きな影響を受けました。その「クラシックの感化」は愛情をもって自然を見つめる写実の姿勢や細密描写として、また、宗教画や構想画の要素を取り入れる試みとして作品に表されていきます。
本作品は、このわずか19日前に制作された代々木時代の名作《南瓜を持てる女》(右参考図版:石橋財団ブリヂストン美術館蔵)に題材と構図が極めて類似しており、同じ西洋古典絵画を参考にしたものと推測されます。両作品ともに、麗子を産み母になったばかりの妻・蓁(しげる)をモデルにしたと思われる農婦が、胸を露わにし大地を踏みしめて立つ姿を生命や豊穣の象徴として描いています。
劉生は《南瓜を持てる女》において、農婦を聖女に見立て、アーチ型の縁飾りを取り入れて宗教性や精神性の高さを表わしました。それに対して、本作品では農婦の女性らしさやみずみずしさを強調し、高く盛り上がった赤土と密集して茂る草木をいっそう力強く描き出すことにより、満ち溢れるような生命感を理想化して表現しています。
また、こうした自然の描写には、翌年に制作され草土社の名称の由来となった《赤土と草(赤土と草の道)》(浜松市美術館蔵)との共通性がすでに見て取れ、それは劉生の代表作の一つである前述の重要文化財《道路と土手と塀(切通之写生)》へと展開していきます。
ちなみに、今週のオークションでは、劉生の代名詞的なテーマ《麗子》も出品されます。こちらは鵠沼時代、1922年5月18日にコンテで描かれた作品です。8歳の麗子が横目で微笑む姿を妖しくデフォルメして描き出したものですが、これはこの時期劉生が没頭していた「グロテスクな美」、すなわち東洋的な超現実性を追求したものです。こうした神秘的な表現は、同じ年に制作された《二人麗子図》(泉屋博古館蔵)や《野童女》にも見て取れます。
Lot.122 岸田劉生《麗子》
34.2×25.5cm
紙・コンテ 額装
1922年作
左上にタイトル、右上にサイン・年代
劉生の会登録証書つき
『岸田劉生の作品に関する私ノート(郡山市立美術館研究紀要第2号)』P.102№22(郡山市立美術館)
岸田劉生個人展覧会出品 1922年(野島邸)
エスティメイト ★\2,000,000~3,000,000
ミュージアムピースが揃った今回のオークションは、ぜひ下見会で本物をご覧ください。
下見会スケジュールはこちら
皆様のお越しを心よりお待ちしております。
(佐藤)
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