月別アーカイブ: 2012年11月

12月近代陶芸/近代美術PartⅡ(陶芸)オークション開催!

こんにちは。
今週は近代陶芸/近代美術PartⅡ(陶芸)オークションが開催されます。
お客様からのご要望もあり、今回からカタログに重要無形文化財保持者(人間国宝)の表記を取り入れてみました。改めて見ると取扱い作家の多くが認定されていることがわかります。
 中でも一番多いのは「色絵磁器」保持者です。富本憲吉、加藤土師萌、藤本能道、十三代今泉今右衛門、そして十四代酒井田柿右衛門の五人です。今回もこれらの作家の作品が出品されます。中でも注目して頂きたいのが藤本能道の「草白釉釉描色絵金銀彩白鷺之図扁壷」です。
143閭ス驕点convert_20121126191215
とにかく大きい!扁壷でこれだけの大きさは、滅多にお目に掛かれるものではありません。能道はやはり筥や大皿が多いのですが、草白釉で両面に白鷺が配され、風景もしっかり描かれたものというのは珍しいです。初期のころは、面取の作風が多かったのですが、晩年になるにつれ、角が取れ丸みを帯びた形を作り出しています。この扁壷の丸みも美しい曲線を生み出しています。カタログではなかなかお見せしにくい部分ですので、ぜひ実物をご覧ください。


続いて十四代酒井田柿右衛門ですが、今回は4種類の草花文が出品されます。
さらに十二代からも含めますと十二代の花柘榴、十三代の山茶花文、秋海堂文、小手毬文と実にさまざまです。皆さんはどの花がお好きでしょうか?三代に渡る柿右衛門の草花の描き方の違いを見比べてみるのもおもしろいと思います。
3譟ソ蜿ウ陦幃摩闕芽干譁㍉convert_20121126191242

最後に富本憲吉の作品をご紹介します。
富本は、第一回重要無形文化財保持者に認定された陶芸家です。弊社近代陶芸の最高額落札作品は、富本憲吉の花瓶なのですが、そのような大作とは違い、今回は小品ながらも身近に使えることのできる作品がいくつか出品されています。煎茶器セット、中皿五枚組み、そして陶板です。そもそも「陶板」という言葉は富本が作った造語です。「白雲悠々」「風花雪月」、そして風景文という富本おなじみの図柄が揃いました。風に舞っているような軽やかな文字と、朴訥な温かい絵柄。日常的にお手元に置くならと考えながらご覧になってはいかがでしょうか。
蟇梧・逧ソ3譫喟convert_20121126191356

陶芸作品は、手で触れて感じることのできる美術品です。
 今回は326ロットとたくさんの作品が出品されています。ご自分のお気に入りを見つけるためにも、直に触れて作品を味わいながらお探しください。

執筆者:E

続きを読む

比べてみる日・韓のお箸

こんにちは。
韓流という言葉が流行りはじめたのももうだいぶ前のことですね。今は韓流ドラマやK-Popにはまっている人に会うのもそんなに珍しくありません。シンワの中にも何人かいます。
それとともに韓国料理が好きになり、辛いものにも慣れてきたという人もかなり増えてきたようです。韓国出身である私ですが、近年韓国の文化や生活習慣などについての質問を受けることが多くなりました。その中で最近あった質問が「なぜ韓国のお箸は鉄なのか?」というわけで、今日は韓国のお箸についてお話してみようと思います。

皆さんのご想像のとおり、答えはズバリ「食文化の差」です。アジアの中でお箸を使用する国として日本・韓国・中国がよく知られていますね。そもそもお箸の文化は中国から韓国へ、そして日本へと伝わってきたのが定説のようですが、各国の食文化に合わせて形は変化してきました。

20121119-1.jpg
< 上から日本・韓国・中国のお箸>

日本の場合、明治以前は魚や野菜が主食であったことから、魚の身がきれいにとれるような短くて先のとがった形になったそうです。また他の国に比べて少食で、めいめいお膳で食事をとるスタイルであったことから、軽くて短いお箸がちょうどよかったのかもしれません。

中国は、昔から大家族が一緒に暮らす文化であり、家族みんなが大きなテーブルに円座して食事をします。その時、遠いところにあるものを取るためにはちょっと長いお箸が必要だったようです。また、油を使った料理が多い中国では、熱い揚げ物や炒め物の熱気が手に伝わらないような素材と長さのお箸が必要であったのだとも考えられますね。

韓国の食べ物は、唐辛子やにんにくなど、色や臭いが濃い食材を使うこともあり、色や臭いが付きにくくて、洗いやすいものでないときれいに長く保管するのが難しかった事もあり、鉄のお箸が広まったようです。割り箸でキムチを食べた後のことを思い浮かべていただくとわかりやすいかもしれませんね。
また、鉱業が昔から発達していたのも理由のひとつだそうです。

その他日本や中国との大きな違いは、お箸と一緒にさじを使うことです。食卓には同じ素材で作られたお箸とさじがセットで用意され、ご飯とスープはさじで食べるのが韓国の正しいマナーです。

20121119-2.jpg
< このような置き方です。>

素材には、真鍮・銀・ステンレスなどが使われます。真鍮は重くて管理や保管が難しいため、一般の家庭ではあまり使われていませんが、古くからの素材として高級店などでは今もよく用意されています。高級な料理をこのお箸でいただいたら昔の韓国の風情を感じられるかもしれませんね。
銀は一般の家庭でも比較的よく使われています。昔は王族の食器として使われていた銀ですが、現代では、新しい家庭の福を祈るという意味で、嫁入り道具のひとつとして用意するのが慣習にもなっています。
でも、やはり普段使いや普通のお店で使われているのは、断然ステンレス素材です。安価で、軽くて、管理しやすいという利便性は圧倒的ですね。

20121119-3.jpg
< 左からステンレス・銀・真鍮の順>

ちなみに、韓国では「金のさじ・箸を噛んで生まれた人」ということわざがあります。これはお金持ちの子供に生まれて何の努力もせずに豊かな人生を過ごす人に対するちょっと皮肉な言い方として使われたりもします。

(執筆:W)

続きを読む

夭折の画家・中村彜のスケッチブック―《婦人像他(スケッチブック21作品)》

こんにちは。
先週の近代美術PartⅡの下見会にご来場くださったみなさま、ありがとうございました。
今週の土曜日、17日はいよいよオークションです。
14日(水)からは近代美術の下見会を開催いたしますので、そちらにもぜひお越しください。

さて、今日は近代美術の出品作品から一点ご紹介いたします。
近代の洋画がお好きな方は必見の大変希少な一点です!

Lot.27 中村 彜 《婦人像他(スケッチブック21作品)》
19.5×12.8cm
紙・パステル、鉛筆、インク
東京美術倶楽部鑑定委員会鑑定証書付
エスティメイト  ¥1,500,000~2,500,000


 中村彜(なかむら・つね 1887-1924)は大正時代に活躍し、37歳で亡くなった夭折の画家です。
 水戸市に生まれた彜は、18歳のとき結核にかかり軍人になる目標を断念。療養しながら次第に画家を志すようになります。白馬会や太平洋画会の研究所で修業を積み、24歳の頃からは新宿・中村屋のアトリエに移り住み、若い芸術家たちが集うサロンの中心的な存在となっていきました。しかし、この頃から病状は悪化し、1920年の帝展出品作《エロシェンコ氏の像》(重要文化財・東京国立近代美術館蔵)で大きな賞賛を受けた後は、残された生命を燃やし尽くすように制作に取り組みました。
 レンブラントやルノワールなどの様々な西洋絵画に学び、対象の生命感や自身の内省的な世界観を描き出した作品は、個性派ひしめく大正期を代表するものとして現在も多くの洋画ファンを魅了しています。


857573-1_convert_20121112123437.jpg
さて、今回の作品はスケッチブックです。
病床の彜がいつも枕元に置いていたものかもしれません。
右の表紙は自筆ではありませんが、意外と(?)かわいらしいですね。
この表紙を開くと…

27-2_convert_20121112144520.jpg  27-1_convert_20121112144447.jpg
図版1                       図版2

 パステルで人物像が描かれています。この2点、どこかで見覚えはありませんか?
図版1は《老母の像》(1924年作・彰考館徳川博物館蔵)、図版2は《頭蓋骨を持てる自画像》(1923-24年作・大原美術館蔵)、どちらも晩年の代表作に大変よく似ています。このスケッチブックは晩年に使用していたものでしょうか。

ページをめくっていくと、その可能性がいっそう高まっていきます。

27-6_convert_20121112145954.jpg  27-10_convert_20121112150018.jpg
図版3                       図版4

 彜は晩年、図版3のようなキュビスムを取り入れた静物画の連作を制作しました。この鉛筆スケッチと一致する油彩画はみつかりませんでしたが、いずれかの原案になったものでしょう。
 また、図版4には、卓上に十字架のついた祭壇のようなものが描かれていますが、これは彜が板で制作した《キリスト磔刑像》(1923年作)によく似ています。この板の作品は《カルピスの包み紙のある静物》(1923年作・茨城県近代美術館蔵)など、静物画のモチーフにも用いられました。

中にはこんな作品も。

27-14_convert_20121112162139.jpg  27-18_convert_20121112162225.jpg
図版5                       図版6

 図版5のような観音像のスケッチが数点見られます。晩年の彜は死期を悟り、「残存せる全生命の死力を尽して」制作に打ち込んでいきます。こうした観音像や図版4のようなキリスト教のモチーフは、死を覚悟して絵筆を握る彜の心の支えだったのかもしれません。
 図版6の抽象画は何かのデザインのようにも見えますが、彜の繊細な心模様を表わすようであり、後に流行するシュルレアリスム風の神秘的な雰囲気も漂わせています。

 こうしてページをめくっていくと、このスケッチブックに晩年の彜の心情が率直に語られているのが伝わってきます。湧き上がるイメージを生き生きと描き留めたもの、祈るように静かに描かれたものの数々は、彜が絵を描くために生きた画家であることを改めて感じさせます。
 また、彜は作品数の少ない画家ですので、たくさんの図柄が描かれたスケッチブックがオークションに出品されるのは大変めずらしいことです。その上、図版1や2のような名作の下絵と思われるものを含み、晩年の彜の制作過程を知ることができる作品は、もしかしたら他にはないかもしれません。
 この作品は今週の下見会にて展示いたしますので、ぜひ実物をご覧ください。

下見会・オークションスケジュールはこちら

みなさまのご来場を心よりお待ちしています。

(佐藤)

続きを読む

オノサトトシノブ 「S-A」

 こんにちは。本日より、近代美術PartⅡオークションの下見会が始まりました。例によってどの作品をご紹介しようかとカタログを繰りながら思案していたところ、ふと目に止まった作品がありました。
 
 その作品はカタログ製作の作業中に目にして覚えていたのですが、小品なのに妙に惹きつけられる作品でした。今回近代美術PartⅡオークションに出品されている、lot732 オノサトトシノブの「S-A」です。

 この作品をご紹介するに当たり、社内にある資料を改めて読んでみました。そうすると、オノサトトシノブについて恥ずかしながら知らなかったことばかり。作家名が本名であることは知っていましたが、漢字で「小野里利信」と書くことや、太平洋戦争に徴兵され終戦後シベリアに抑留されていたこと、帰国後は絵を描きながらも1962年に職業画家となるまでは養鶏場を営んでいたことなど、意外に思われることを数多く知りました。

 この絵の描かれた1965年と言うと、オノサトは53歳。養鶏場を止めてから3年、個展を開催し、美術展で賞を取り、’64年にはベネチアビエンナーレに出品(’66年にも出品)という、オノサトのキャリアの中でも充実していたといえる時期です。
 作品に関して言えば、1950年代まではフリーハンドで描かれていた「丸」のモチーフが(オノサト自身は「モチーフ」ではなく「ルール」と呼んでいますが)、’60年前後よりコンパスを使うようになり、色も一色で塗りつぶされていたものが四角や三角で分割されるようになります。
  今回出品されているこの絵も、サムホールと言う小品ながらオノサト独自の幾何学的な法則に則った図柄。額装もシンプルな木の枠で、規則正しい模様やその色合いともうまくマッチしています。

 戦前より独自の視点で抽象画を模索し続け、ついには「絵画を離脱する」ところまで突き詰めたオノサトトシノブ。「丸」はモチーフではなく、「絵を描くことの面白さがモチーフ」であるという彼の主張が、この小さな絵を眺めていると静かに伝わってくる気がします。

 この作品は、近代美術PartⅡオークション下見会でご覧いただけます。
 下見会、オークションのスケジュールはこちらから。
下見会場1 


 皆様のお越しを心よりお待ちしております。

 (平野)

続きを読む