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11/21東京&11/30香港 下見会@銀座

 今週は、銀座にて21日の近代美術オークション(東京・丸ビル)と、30日のCouncil&SHINWA Alliance Auction(香港)の下見会を開催しています。

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エントランスを入ると宝石&時計ブースです。
人気のVan Cleef & Arpelsは今、六本木の森アーツセンターギャラリーで展覧会が行われています。
今回はたくさん出品されますので、ぜひお手にとってお試しください。


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B1Fの洋画コーナーには、梅原龍三郎の作品がずらり25点。
あの有名な名作も出品されますので必見です!


 では、本日も近代美術オークションの出品作品の中から菱田春草の作品をご紹介します。
現在、東京の明治神宮では「特別展 菱田春草」が開催されていますが、ご覧になりましたか?今回出品される春草は、展覧会で名品をご覧になった方にもおすすめの1点です。


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Lot.42 菱田春草 《蓬莱山》
26.3×19.2cm
絹本・彩色  軸装
左下に落款・印
横山大観箱
菱田春夫識
東京美術倶楽部鑑定委員会鑑定証書つき
エスティメイト ¥4,000,000.~6,000,000.



 まずは春草について。

 菱田春草は1874(明治7)年、長野県生まれ。1890年東京美術学校に入学し、橋本雅邦に狩野派の絵画を、川端玉章に円山派の絵画を学びました。卒業後は美術学校の教員となりましたが、岡倉天心の校長辞職とともに母校を去ります。同年、新しい日本画の創造を目指し、天心によって設立された日本美術院に参加。盟友・横山大観とともに革新的な日本画を模索していく中で、朦朧体という没骨彩色の表現法を生み出しました。
 1906年、日本美術院が東京から茨城県の五浦に移転すると、大観や下村観山らと互いに影響を与えあいながら制作に励んでいきます。五浦では朦朧体の研究を推し進め、色線と点描を駆使した表現へと発展させ、画業は充実期へと向かいました。1908年視力に異常をきたした春草は、療養のため東京代々木に転居。以後、1911年に36歳という若さで亡くなるまでの短い期間に、重要文化財に指定された《落葉》や《黒き猫》などの名作を次々に生み出しました。写実を重視し、モチーフの存在感を捉えながら琳派などの伝統絵画の装飾性を取り入れるという晩年の制作は、近代日本画の基礎を確立したと言えるでしょう。

 本作品は落款より1900~02(明治33~35)年頃の作でしょうか。春草が本格的に朦朧体に取り組んだ時期に当たります。題材となった蓬莱山(ほうらいさん)とは古代中国において、仙人が住むといわれた東の海上にある山で、不老長寿の妙薬があると考えられていました。日本では竹取物語で姫が皇子に出す難題の一つとしても登場し、画題としては新春や慶事の席に相応しいものとして、古来より好んで描かれました。
 本作品では前景につがいの鶴が止まり、人跡未踏の境地を想像させます。霧の立ち込めて茫漠とした山峡は、中景に余白を取り、そこに深い空間の奥行きを思わせます。深山の湿潤な空気を感じさせるようなこの表現は、朦朧体の研究の成果を生かしたものです。春草の自然描写はつねに色彩感を溢れさせており、その中に統一された情趣が漂っています。

みなさまのお越しを心よりお待ちしています。

(執筆:S)

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