関西洋画壇の雄・黒田重太郎の代表作《ケルグロエの夏》


こんにちは。
先日は彫刻家・澄川喜一氏の立体作品をご紹介しましたが、今日も近代美術PartⅡオークションの出品作品の中から一点ピックアップしてお話しいたします。
今、当社のホームページのトップやミュージアムのウィンドウを飾っている作品です。


【オークション終了につき、図版は削除いたしました】



Lot.675 黒田重太郎《ケルグロエの夏》
64.8×80.8cm
キャンバス・油彩 額装
右下にサイン・年代
裏に署名・タイトル・年代
1917年作
第6回二科展 1919年
第20回二科展 1933年
第24回二紀展 1970年
黒田重太郎遺作展 1971年(京都市美術館)
エスティメイト ★\100,000~200,000

まずは作家について。
滋賀県大津市に生まれた黒田重太郎(くろだ じゅうたろう・1887-1970)は、17歳のとき鹿子木孟郎に入門し、のちに関西美術院で浅井忠に学びました。1916年初めてヨーロッパに留学。1923年二科会会員となり、1947年には二紀会創設に参加するなど、中央画壇でも活躍しましたが、1924年小出楢重らと信濃橋洋画研究所を設立、戦後は京都市美術大学教授となるなど、京都を拠点に活動し、関西の洋画壇で指導的地位を務めました。印象派やキュビスムを取り入れながら、写実的で親しみやすい作風を確立した作家です。また、美術関係の著述を多く残し、美術史家としても知られています。

本作品は1917年(当時29歳)、ヨーロッパ留学中に制作されたものです。この年の7月から2ヶ月間ほど、黒田はブルターニュ地方のクレゲレックに滞在していますので、画題の「ケルグロエ」とはクレゲレックを指すものでしょうか。留学中はフランス各地を転々とし、美術館や画廊で様々な作家の作品を見て学びましたが、特に心ひかれたのは印象派のカミーユ・ピサロだったといいます。

ピサロが得意とした主題、田園風景を描いた本作品にはその影響がよく表れています。細やかなタッチを重ねて畑と農作業をする人々を捉え、遠近法を用いて風景全体に奥行きをもたらしています。明るい陽光が降り注ぐ様子は、戸外での制作を重視した印象派のスタイルを取り入れたものでしょう。
 
黒田は帰国後、本作品を第6回二科展に出品し、二科賞を受賞。それがきっかけとなり、中央画壇でも高く評価されるようになっていきました。その後、本作品は黒田の代表作として第20回二科展に再出品、没後は第24回二紀展の遺作室や作家の遺作展にも出品されました。

この作品は今週11日(水)からの下見会でご覧いただけます。
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皆様のお越しを心よりお待ちしております。

(佐藤)