光州ビエンナーレ『萬人譜 10,000 Lives』


光州ビエンナーレ『萬人譜 10,000 Lives』

【ビエンナーレ展示概要】
会期:2010年9月3日(金)~2010年11月7日(日)
場所:光州ビエンナーレ展示館・光州市立美術館・光州市立民族博物館
http://www.gb.or.kr/


光の都市と言われる韓国の光州。第8回を迎えた「光州ビエンナーレ」の取材で活気に溢れる秋の光州に行って参りました。

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今回の光州ビエンナーレのテーマは『萬人譜 10,000 Lives』。
『萬人譜10,000 Lives』とは、韓国では民衆詩人と呼ばれる、ゴ・ウン(Go Eun)の同名の連作詩から採用されたテーマです。ゴ・ウンは、今年のノーベル文学賞にノミネートされたことで世界によく知られています。「萬人譜」は、ゴ・ウンが、1980年光州事件(正式名:光州民主化運動‐民主化を求める活動家とそれを支持する学生や市民が韓国軍と衝突し、多数の死傷者を出した事件)に関わった疑いで監禁された時から創作し始めた作品で、今年の4月にそのラストになる30巻を発表することで完結しました。それは、詩人が一生の間直接会った人、または歴史や文学を通して影響を受けた人物など、およそ3,800名の人生を要約して紹介した一種の肖像画集とも言えます。

ビエンナーレのディレクターは、「イエスより若い:Younger than Jesus」という展示企画でニューヨークのダーリン(寵児)に浮上したイタリア出身のマッシミリアーノ・ジョーニ(Massimiliano Gioni)。写真評論家であるスーザン・ソンタグ(Susan Sontag)の「生きることとは、撮られること:To live is to be photographed」という言葉を副タイトルに考えていたというジョーニの話通り、展示の構成は圧倒的に写真が多いようでした。

出品作品は、1901年から2010年まで活動した作家、31ヶ国134名の作品で、ドキュメンタリー写真、映像、民芸品などが展示されています。中には今回の光州ビエンナーレのために制作された新作も含まれています。

2.jpg <ビエンナーレ館> 3b.jpg <光州市立美術館>

          
展示空間は、ビエンナーレ館(1~5展示館)、光州市立美術館、そして光州市立民族博物館と大きく三つに分けられ、各展示館ごとに個性的な空間演出がなされています。各展示スペースが持つ小主題、そしてそれに関わる一連の作品群は、形や使われたメディア、あるいは歴史的な意味などによって分類され、『萬人譜10,000 Lives』というテーマにふさわしいヒトの「生」を語ってくれます。

「写真での表現、ポーズをとること、イメージを通した人のアイデンティティーへの探求作業」という小主題をもつ「ビエンナーレ1展示館」には、光州市民のボランティア参加によるパフォーマンスや観客の参加を積極的に誘導する作品で目立ちました。中でもイタリア出身の作家フランコ・バカリーの作品、「この壁にあなたの痕跡を写真に残しなさい」は、展示場に置かれた写真ブース(証明写真)に入った来訪者が、自らポーズをとりながら演出した写真を壁の全面に貼ることで完成させようとする作品です。参加者はその行為や残した痕跡(写真)によって彼の作品の一部となります。

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フランコ・バカリー(Franco Vaccari) 
「この壁にあなたの痕跡を写真に残しなさい」

また、宗教的な人物、偶像、人形などで構成された「ビエンナーレ4展示館」では、今回のビエンナーレで一番の話題となった「テディベア・プロジェクト」を見ることができます。キュレーターでありながら収集家であるイデッサ・ヘンデルス(Ydessa Hendeles)が作り出したこの空間は、テディベアを抱いてポーズをとった人々の写真が3千枚以上展示されています。古い白黒の写真の中には仲よさそうに写された人とテディベア。今は一人ぼっちでその写真とともに展示されているあの時のままの人形の姿は、なんとなく寂しさを感じさせるものでした。

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イデッサ・ヘンデルス(Ydessa Hendeles)
「テディベア・プロジェクト(The Teddy Bear Project)」

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ジェフ・クーンズ(Jeff Koons)
「陳腐さの到来」 1988
Polychromed wood
Deste Foundation, Athens
案内のスタッフさんが今回のビエンナーレで一番高い作品と自慢げに話してくれたジェフ・クーンズの「陳腐さの到来」。

ほかにも、第8回光州ビエンナーレは、メディア・アートの形を借りて残された光州事件や9.11テロ、そして過去世界で繰り返されてきた民衆への虐待と搾取という悲惨な歴史を見せることで、「歴史」が起こしたヒトの「死」が、個人の「歴史」の中ではどんな意味を持つ「死」として残されるのかを提示してくれます。


<執筆:W>