展覧会だより「赤瀬川原平の芸術原理 1960年代から現在まで」展 その1



クリスマスが終わり、街中の飾りやスーパーの品揃えが、一気にお正月の様相へと変わりましたね。先日、弊社オフィスがある有明にもちらちらと雪が降り、底冷えの寒さと共に1月がやって来る気配がします。

今回のシンワブログでは、10月28日から12月23日まで、千葉市美術館にて開催された、赤瀬川原平の大規模な回顧展、「赤瀬川原平の芸術原理 1960年代から現在まで」についてお話をしたいと思います。
展覧会初日の2日前、10月26日に赤瀬川氏の訃報が届き、図らずも作家を偲ぶという性格も持ち合わせることとなったこの展覧会には、全11章に渡って、赤瀬川氏の作家活動に留まらず、その人生の全てを顧みる内容が準備されていました。

1960年に荒川修作らと結成したネオ・ダダや、多くの若手作家たちが、各々が抱く新しい美術のかたちを競うように発表した読売アンデパンダン展、高松次郎や中西夏之と共に銀座の街中や内科画廊を舞台に繰り広げられたハイレッド・センターの動乱、前衛的作品で埋め尽くされた法廷で、司法と芸術が戦いを繰り広げた千円札裁判、迷いの無い線で当時の社会を風刺した『櫻画報』のペン画原稿などなど…。
それぞれの作品が持つ情報量に加え、作品に添えられたキャプションには様々な文献から引用された、作品にまつわるエピソードが細かに添えられており、全ての展示室をじっくりと「読む」ためには約3時間を必要としました。


《復讐の形態学(殺す前に、相手をよく見る)》

赤瀬川原平《復讐の形態学(殺す前に、相手をよく見る)》1963年 名古屋市美術館蔵



《押収品・模型千円札梱包作品(かばん)》

赤瀬川原平《押収品・模型千円札梱包作品(かばん)》1963年 名古屋市美術館蔵



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

会場を訪れて印象深かった出来事を振り返ると、最初の展示空間にはネオ・ダダ展や読売アンデパンダン展など、赤瀬川氏の活動初期の様子を教えてくれるモノクロ写真が数多く並べられていたのですが、展示室を進んでいくと、モノクロ写真の中に大人しく収まっていた作品が、突然実物となって眼前に現れ、その鮮やかな色や大きさ、物の質量感に圧倒された、ということです。

特に印象的だった作品は、1961年に発表された《ヴァギナのシーツ(二番目のプレゼント)》(1961/1994年)です。作品の大部分を占める赤いゴムは、カータイヤの中から取り出したチューブを開き、縫い合わせたもので、たくさんの真空管や、中央にはタイヤのホイールが配されています。作品の主題を読んで一瞬怯んでしまった人でも、大胆に造形された赤いゴムのマットな質感や、光を受けてキラキラ輝く真空管の繊細さを発見すると、つい見入ってしまうのではないだろうか?という迫力を持っていました。会場ではたくさんの人が立ち止まって、じっと作品を見上げていました。
また、美術館の白い壁に凛として展示されている様子を見ていると、読売アンデパンダン展で大暴れした作品であるのに、今や多くの人々から賞賛を得ている様で、なんだか時代は流れたのだなぁと(生意気にも!)思ってしまいました。


《ヴァギナのシーツ(二番目のプレゼント)》

赤瀬川原平《ヴァギナのシーツ(二番目のプレゼント)》1961/1994年 作家蔵(名古屋市美術館寄託)



自立するほど厚みのある、全400ページ超の展覧会図録は、その内容が非常によくまとまっており、まるで赤瀬川氏を美術館から自宅に連れ帰るような感覚です。この図録は展覧会期終了間際には、在庫僅少のため販売中止となったという知らせを聞きましたが、それも納得できる、非常にしつこく研究されたマニアックな内容でした。

次回のブログも赤瀬川原平と本展について取り上げる予定です。
展覧会でも厚く紹介されていた「ハイレッド・センター」と弊社とのちょっとした繋がりを交えながらお話したいと思います。
本展覧会は下記の会場にも巡回していくとのこと。
会場がお近くだという方や、大分・広島方面にお出掛けの方は是非足をお運び下さいませ。

今年も残すところあと少しですね。
本年もひとかたならぬご愛顧を賜り、厚く御礼申し上げます。
来年もどうぞシンワアートオークション株式会社と本ブログをよろしくお願い致します。
皆さま、良いお正月をお迎え下さい!

「赤瀬川原平の芸術原論 1960年代から現在まで」展 巡回スケジュール
◇大分市美術館

会期:2015年1月7日〜2月22日
美術館HP
◇広島市現代美術館
会期:2015年3月21日〜5月31日
美術館HP

 (高井)