9月に入り、夏の暑さもあと少し我慢すれば秋の予感…。今日は前回に引き続き、東京国立近代美術館から巡回中の展覧会、「現代美術のハードコアはじつは世界の宝である展ヤゲオ財団コレクションより」展についてお話をさせていただこうと思います。今回はある作品にスポットを当ててお送りしますよ!
会場には、40作家約74点の作品が、「ミューズ」や「中国の近現代美術」、「記憶」、「新しい美」など10の章立てに基づいて展示されています。展覧会の導入は、ご存じマン・レイから。リキテンスタイン、ウォーホルと西洋の巨匠が続いた後には、近年アートマーケットで大きな存在感を放っている、四川省出身の作家サンユウ(常玉)が続き、このコレクションが特色として、東洋の近現代美術作品も手厚くフォローしていることを教えてくれます。
どの部屋も著名作家の名品揃いですが、個人的に展示されていて「わっ!」と驚いた作品があります。それは、「崇高」というテーマの部屋に展示されていた《叔母マリアンネ》(1964)です。作者はゲルハルト・リヒター(Gerhard Richter, 1932–) 。ドイツの東、チェコとの国境に近い町ドレスデン出身の作家です。
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ゲルハルト・リヒター《叔母マリアンネ》 1 9 6 5年 ヤゲオ財団蔵
© G e r h a r d R i c h t e r , 2 0 1 4
本作は、2012年にパリ、ベルリン、ロンドンを巡回したリヒターの大回顧展にも出品され、作家としてのリヒターを語るにおいてしばしば取り上げられる初期の代表作であり、そして同時に、ドイツ近代史と深い関わりを持った作品でもあります。というのはこのマリアンネという人物、実は……(続きは後ほど。)
ともあれ、まさかこの作品をアジアのヤゲオ財団が所蔵しているとは!意外性と日本で巡り会えた有り難みを噛み締めながら、舐めるように観賞してきました。
ちなみに、調べてみたならば、2006年6月21日のサザビーズ(ロンドン)オークションにおいて、2,136,000ポンド(日本円で約3億6千5百万円 ※この価格は落札価格+手数料の値段)で取引されているとのことです。
さて、リヒターと《叔母マリアンネ》について、もう少し詳しくお話していきましょう。
リヒターが生まれた頃のヨーロッパは、大恐慌が渦巻き、街に失業者が溢れた第二次世界大戦前夜。出生地ドレスデンは東ドイツ(当時)に属し、彼は少年時代を社会主義圏で過ごしました。そんなリヒターが、己の芸術のために故郷を脱して、西ドイツのデュッセルドルフへと移住したのが1961年の春。ほんの数ヶ月後にはベルリンの壁が出来上がってしまったというから、その後の東ドイツが辿った運命を知る私達に言わせれば、間一髪のタイミングです。
西ドイツで早速制作に取り掛かったリヒターがまず手掛けたのは、新聞や雑誌に掲載されている白黒写真を、油彩でキャンバスに焼き直すという仕事でした。1964年から1966年頃には、彼の家族の写真もモチーフとして集中して使用されるようになります。この頃制作されたうちの1点が本作であり、白黒写真が大きく引き伸ばされた画面には、赤ん坊を腕に抱いた少女というありふれた光景が写し描かれています。抱きかかえられている赤ん坊はリヒター本人、おかっぱの少女が叔母のマリアンネです。実は彼女、戦時中にナチ党員の医師たちによって死亡させられてしまうという悲劇性を背負った人物でもあります。そのため、会場のキャプションには、
「《叔母マリアンネ》に描かれている人物はナチス政策の被害者でもあったため、その作品は、美術史のみならず、ドイツ史にとっても重要だと言えます。そうしたこともあって、同作品は、ヤゲオ財団からドレスデンの美術館に、数年間貸与されていました。」
という情報が書き添えられています。
リヒターが手掛ける、写真をモチーフとした絵画は、キャンバスに投影されたスライド写真を鉛筆で下描きし、それを油彩で仕上げるという方法で描かれているそうです。全体のぼやけた表情は、描き終わった最後に画面に筆を走らせて作り出されています。何故、わざわざ描きあげた後に作家はこんな加工をしたのか?その理由をざっくり言うと、この絵がただの写真の引き写しではなく、元になった写真とは異なった意味合いを持っていることを人々に伝える、そのための手段として、ぼやかすという手法が選ばれたとのことです。結果として、「ぼやかされた像はどのような効果を生み出しているのか?」という内容が、批評家達にとってしばしばリヒターの「語りどころ」となっています。
コレクションを作り上げたピエール・チェン氏は、なぜ《叔母マリアンネ》に惹かれ、また、政治的な背景を持つこの作品を自宅やオフィスのどこに飾っているのでしょうか?作品そのものに対してはもちろんですが、ドイツの近代史と深い関わりを持つこの作品が、アジアのコレクターによって所蔵されているという状況に対しても、色々と考えを巡らせてしまいます。
この展覧会は、ともすれば一人のコレクターの作品をそのまま持ってきただけだと言われてしまうかもしれないですが、美術館とコレクターの関係性や、両者の距離感、同時代的な美術市場の情報など、これまで美術館が積極的に発信してこなかった内容に、国立美術館がチャレンジした実験的な取り組みであったと思います。また、ヤゲオ財団はこれからも作品の収集とコレクションの精錬を行っていくことでしょうから、まだまだコレクションの全貌が捉え切れないという楽しみもあります。
前回のブログでもお知らせしましたが、本展覧会は今後、名古屋市美術館、広島市現代美術館、京都国立近代美術館に巡回していきます。是非ゲルハルト・リヒターの名作《叔母マリアンネ》に会いに行ってみて下さいね。
次回のシンワブログはどの社員が筆を振るうのでしょうか?お楽しみに!
現代美術のハードコアはじつは世界の宝である展 ヤゲオ財団コレクションより
展覧会特設HP http://sekainotakara.com
(高井)