岸田劉生の芝居絵―《芝居絵(伝九郎 朝比奈)》


こんにちは。
9月に入っても暑い日が続きますね。まだ熱中症になる方も多いようなので、くれぐれも気を付けてお過ごしください。
さて、来週21日(土)は近代美術/近代美術PartⅡ/Contemporary Art/近代陶芸/近代陶芸PartⅡオークションを開催いたします。
今回は出品作品の中から、珍しい1点をご紹介いたします。

重要文化財の《道路と土手と塀(切通之写生)》(1915年作、東京国立近代美術館蔵)や《麗子微笑》(1921年作、東京国立博物館蔵)など、様々なジャンルに日本の近代美術史を代表する名作を残した、岸田劉生の油彩による芝居絵です。




【画面右上】
伝九郎  長うた
朝比奈  芳村伊四郎
劉生
うつ須


 

 

 

 

 

 

 302 岸田劉生(1891-1929)
《芝居絵(伝九郎 朝比奈)》
22.2×15.6cm
板・油彩 額装(額装サイズ67.5×58.3cm)
1922(大正11)年頃作
劉生の会登録証書付

『岸田劉生画集』(1980年/岩波書店)参考53掲載
『アサヒグラフ 別冊美術特集 岸田劉生』(1986年/朝日新聞社)№58掲載
『岸信夫作成「岸田劉生の作品に関する私ノート」一九一五-一九二九・郡山市立美術館研究紀要第3号』(2003年/郡山市立美術館)p.110 №59掲載
「歿後二十五年記念 劉生展」1955年(銀座松坂屋/産業経済新聞社)出品
「秘められたコレクションによる 岸田劉生激情の生涯展」1985年(笠間日動美術館/読売新聞社)出品

 落札予想価格 ¥2,000,000~¥3,000,000

 

1917(大正6)年2月から1923年9月まで、岸田劉生は神奈川県鵠沼(現・藤沢市)に居を構え、創作活動を行いました。鵠沼では、代表作となった「麗子像」や「村娘図」の連作のほか風景画や静物画に取り組み、生涯において最も充実した画業を展開しました。そして、その後期には歌舞伎を題材とした芝居絵や日本画の制作にも着手するなど、作風は次第に東洋的な色合いを強めていきます。

劉生の鵠沼時代の東洋趣味を最もよく示すものとして知られるのが、歌舞伎への傾倒です。芝居好きの妻や白樺派の画家たちの影響を受け、歌舞伎に惹かれるようになった劉生は、1920年頃より東京の新富座や市村座などに足繁く通い、歌舞伎役者や舞台の一場面、劇場内の風景を油彩で描くとともに、しばしば劇評や演劇論を雑誌などに寄稿しました。

 本作はその一連の芝居絵の一つで、1922(大正11)年12月16日に制作された油彩画です。この日の劉生の日記には、「横浜座に新富座連の芝居をみに行く日」註1)とあり、「はじめが艸ずり引き(草摺引)で伝九郎と亀蔵のおどり たてうた(立唄)は伊四郎 伝九郎の朝日奈わりによく出来たり 何しろ古典的な面白いものであった。(中略)スケッチをとる」註2)と観劇の感想が書かれています。これにより、本作は鎌倉時代の敵討ちを題材とした曽我物の演目に感銘を受けて描いたものとわかります。劉生はサムホール作品用の画材一式を収納した絵具箱を劇場に持ち込み、スケッチと称して油彩画を制作することがあり、本作もサイズや勢いのある筆致から劇場内で描かれた作品でしょうか。

 本作では、六世中村伝九郎演じる小林朝比奈(朝比奈三郎)の派手な装いや個性豊かな表情を浮世絵の大首絵のように強調し、クローズアップして表しています。その背後に描かれているのは、画面右上の書き込みより唄方の芳村伊四郎です。劉生はこの時期、「麗子像」において追求した世俗的で猥雑、グロテスクな美を歌舞伎や浮世絵の中にも見出しており、劉生の言葉でいうその「卑近美」や「でろり」とした味わいを、観劇による高揚感とともに描き出した作品と言えます。


註1)註2)岸田劉生「日記三」『岸田劉生全集 第七巻』岩波書店 1979年

サムホールサイズの画面に、劉生が虜になった歌舞伎独特の妙味がぎゅっと込められています。
ぜひ下見会場で実際の作品をご覧ください。
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※20日(金)、21日(土)は下見会を開催しておりませんので、ご注意ください。

ご入札は、ご来場のほか、書面入札、オンライン入札、電話入札、ライブビッディングなどの方法でも承っておりますので、お気軽にご参加ください。
皆様のご参加を心よりお待ちしております。

(佐藤)