9月近代陶芸オークション 河井寛次郎ー手から生まれる祈りー



 こんにちは。先週より秋のオークション週間が始まりました!

今週以降 近代陶芸、近代美術PartⅡ、近代美術と続いて参りますので、ぜひお見逃しなく。

さて、今回の近代陶芸/近代美術PartⅡ(陶芸)オークションからは、河井寛次郎の作品を2点ご紹介いたします。


LOT.98河井寛次郎 「白地筒描花手文陶板」 51.2×30.5㎝ 額装(65.0×44.0㎝) 河井敏孝箱 河井武一箱 ¥2,500,000~¥3,500,000

LOT.98河井寛次郎
「白地筒描花手文陶板」
51.2×30.5㎝
額装(65.0×44.0㎝)
河井敏孝箱
河井武一箱
¥2,500,000~¥3,500,000



 河井寛次郎は、1890(明治23)年に島根県能義群安来町(現安来市)に生まれました。家業は大工をしていましたが、叔父の勧めで陶芸の道に進むことを決意し、1910(明治43)年・二十歳の時に東京高等工業学校(現東京工業大学)の窯業科に入学します。その頃陶芸の指導に当たっていたのが板谷波山でした。また学年二つ下には浜田庄司がおり、その後浜田とは「民藝運動」を共に行い、その交流は生涯続きました。民藝の作家の中でもこの二人に特に共通している部分は、作品に「銘」を入れていないことです。当初、寛次郎は「鐘渓(しょうけい)窯(よう)」や「寛」といった銘を入れていましたが、「民藝運動」を通じ一陶工であり続けようという思いを込め“無銘陶”であることを選びました。しかし、寛次郎の創造性は「用の美」の範疇に収まることなく、独自の様式美を生み出しました。

 中でもこの「手」のモチーフは、寛次郎らしさを存分に表した作品です。

 

そしてそれは特に、形を作る「手」に感謝の気持ちを乗せ描かれたとされています。また「手」で何かを摘まんでいる仕草が多いのは、禅宗の「拈華微笑(ねんげみしょう)(釈尊が花をひねって差出し、弟子の迦葉だけがその意味を悟り、ほほ笑んだ。その瞬間法を悟ったとされる。)」の「拈華」から発想されている為ではないでしょうか。

「花を摘まんでいる手」。

「玉を摘まんでいる手」。

「つぼみを人差し指に乗せている手」。

「狐の影絵を作っている手」。など手のモチーフには様々ありますが、この作品はまさに「拈華」を描いた陶板の中では最大級のものと言えるでしょう。寛次郎の大いなる祈りが感じられる一枚です。

 

 そしてもう一枚、「玉を摘まんでいる手」が描かれた陶板も出品されます。


LOT.83河井寛次郎 「玉手陶板 火誓淨新」  35.6×23.5㎝  共箱 ★¥300,000~¥500,000

LOT.83河井寛次郎
「玉手陶板 火誓淨新」
 35.6×23.5㎝
 共箱
★¥300,000~¥500,000



こちらは、四文字の造語「火誓淨新」が周りに書かれています。寛次郎は詩人でもあり、多くの詩や文章を残しました。この「火誓」という造語は、『火の誓ひ』という本のタイトルにも使用されているほどで、窯に火をくべ焼成を見守る空間がどれだけ大事であったかを物語っています。それに続く「淨新」は、「新たな浄土」と読み砕くことができますが、寛次郎が亡くなる直前に書いた『饗応不尽』という詩の中にこの「浄土」が出てきます。

この詩は、

「このままが往生でなかったら

寂光浄土なんか何処にあるだろう」

という一節で結ばれています。この世のすべてのものが支え合っている極楽のような世界なのだから、これ以上絶対的な世界はないのではないか、という内容の詩です。

それを踏まえますとこの造語は、火と向き合う中で、新たな浄土を見つけるために真摯に仕事をしていくことを誓った言葉なのかもしれません。そして手にしている玉は、調和のとれた精神世界の核の象徴だったのではないかとされています。向かい合うだけで、こちらも真摯な気持ちになるから不思議です。

 

「祈らない祈り 仕事は祈り」

これは寛次郎が講演会の時に語った一節です。特定の信仰ではなく、人智を越えた力をとても大事にしていた寛次郎は、そういった力を「大イナル力(ちから)」と呼んでいました。

 

寛次郎の仕事、もしくは宇宙観を集約した作品。

見応えのある2作品とぜひ対峙してみてください。

 そのほかにも今回は、計258点の茶道具や新陶の作品が出品されます。みなさまのお越しをお待ち申し上げております!

オークションスケジュール:こちら

 

【参考文献】

・「河井寛次郎記念館開館40周年記念 河井寛次郎の陶芸~科学者の眼と詩人の心~」

  東大阪市民美術センター・瀬戸市美術館・はつかいち美術ギャラリー/2013年

・「生命の歓喜 生誕120年河井寛次郎展」 毎日新聞社/2010年

・「河井寛次郎と仕事」 河井寛次郎記念館/1976年

  執筆者:E