こんにちは。
今年は全国各地で早くも梅雨が明けましたね。
関東甲信や東北地方などでは観測史上最も早い梅雨明けということです。
すでに猛暑日が続いておりますので、熱中症に気をつけてお過ごしください。
さて、今回も出品作品の中からおすすめの1点をご紹介いたします。
東京・日本橋三越本店の1階ホールに飾られた、あの極彩色の巨大な木彫作品《天女像》(まごごろぞう)の作者、佐藤玄々(さとうげんげん)の救世観世音菩薩像です。
410 佐藤玄々(1888-1963)
《大慈大悲救世観世音菩薩》
H83.3×W26.2×D26.2cm
木彫・彩色
背部に刻銘
共箱
『天女開眼 佐藤玄々の芸術』(1980年/萬葉堂出版)P.87掲載
「第5回無名会」1954年(三越)出品
「天女完成記念 佐藤玄々名品展」1960年(日本橋三越)出品
落札予想価格 ¥10,000,000~¥20,000,000
1888(明治21)年、佐藤玄々は福島県の宮彫師の家に生まれました。
幼い頃から父や叔父に木彫の手ほどきを受け、郷里の画家に日本画を学びます。17歳の時、彫刻家を志して上京し、山崎朝雲に入門。1913(大正2)年の独立を機に朝山と号し、翌年から日本美術院展に参加し、同人となりました。1922年、日本美術院の留学生としてフランスに渡り、ブールデルに師事する傍ら、ルーヴル美術館ではエジプトやエトルリアの彫刻に影響を受けました。帰国後は西洋の彫塑表現を伝統的な木彫に取り入れ、日本の神話や動物を題材とした作品を制作していきます。1948(昭和23)年に号を玄々に改めた後は、およそ9年の月日をかけて自らの芸術の集大成となる《天女像》の制作に取り組みました。
1951年に三越からホールのための彫刻制作の依頼を受けた玄々は、その計画や構想を練り、京都で制作を開始する一方、濃密な色彩と截金(きりかね)技法などを用いた装飾的で優れた木彫を次々に制作しました。1954(昭和29)年の「第5回無名会展」(三越)に出品された本作も、この《天女像》の制作過程で生み出された一点です。
救世観世音菩薩(ぐぜかんぜおんぼさつ)は人々を苦しみから救うことからそう称され、題名の「大慈大悲」は広大無辺な菩薩の慈悲を意味します。玄々は神仏を彫るという自らのルーツに立ち帰るかのように、この題材を1930年頃から繰り返し手掛けました。
救世観音といえば法隆寺夢殿の秘仏がよく知られていますが、本作も同様に、蓮華座の上に立って両手で宝珠を包み、背後に火焔文が描かれた宝珠形の光背を持つ一面二臂の像として表されています。
立体感よりも正面性が強調されたその平面的な造形、優雅な文様が施された曲線的な天衣に見られる左右対称の構造、優しく神秘的なアルカイックスマイルもまた、飛鳥仏の特徴を示す法隆寺の救世観音の影響をうかがわせます。
そして、本作では、光背の先端から台座の脚部に至るまで、一分の隙もなく緻密に彫刻さ
れた姿態、同じく繊細で装飾性に富んだ鮮や
お顔周辺のアップです。 かな彩色、艶やかさや気品の漂う佇まいに、
優しく上品なお顔立ちです。 玄々の卓抜した技術と円熟の境地が見事に発
揮されています。本作のこうした造形や装飾
には《天女像》との共通点が多く見て取れ、
玄々芸術において特に傑出した作品の一つと
言えるでしょう。
背面 側面
背面から見ても左右対称の造形が 平面的でやや前傾した形態は、
よくわかります。 《天女像》と共通しています。
参考図版《天女像》
(天女部分の拡大)
日本橋三越の《天女像》です。高さ約11メートルという大きさ、絢爛豪華な装飾と緻密な造形に圧倒されます。
お店に行かれた際はぜひご覧ください。
下見会場ではぜひ玄々の優れた彫刻技術を間近でご覧ください。
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(佐藤)