日本人に愛された英国民藝作家 ≪バーナード・リーチ≫


こんにちは。

先週末のワインオークションにご参加頂き誠にありがとうございました。今週末に開催されます「近代陶芸/古美術/近代陶芸PartⅡオークション」で連続したオークション開催も小休止。じめじめした梅雨も始まる気配ですが、気分だけでも晴れやかになるオークション下見会場へぜひ足をお運び気ください。

 

さて、今回ご紹介する作品はこちら。

 
 
LOT.169 バーナード・リーチ 「ガレナ釉大鉢」   H10.4×D49.5cm   高台内に描き銘「B.L.」、「1933」記  共箱 1933年作 ★¥1,200,000~¥ ¥1,800,000

LOT.169 バーナード・リーチ
「ガレナ釉大鉢」
  H10.4×D49.5cm
  高台内に描き銘「B.L.」、「1933」記
  共箱
  1933年作
★¥1,200,000~¥1,800,000

 

バーナード・リーチ(1887‐1979)は、民藝を代表する陶芸家の一人で、イギリスに於いても陶芸界の重鎮として名高い人物です。富本憲吉(1886-1963)、浜田庄司(1894-1978)らとも親交があり、同じくイギリスの陶芸家ルーシー・リー(1902‐1995)の一世代前の作家にあたります。

 

 

リーチは父の仕事の関係で香港で生まれました。生後間もなく母と死別、京都で英語教師をしていた祖父に引き取られ、3歳まで日本で過ごしています。香港や日本で育ったせいか、東洋の芸術に深い関心を持ち成長していきました。ロンドンの美術学校に入学した際に、留学中の高村光太郎や南薫造らと知り合ったリーチは、更に東洋の芸術に魅かれていきます。

そして22歳(1909年)の時に再び来日し、高村の紹介で日暮里に暮らし始めました。翌年には、富本憲吉と出会い意気投合、更に翌年には富本に通訳をしてもらい、入谷の六世乾山の元に弟子入りしました。リーチはその後も横浜の真葛香山の窯で絵付けを習うなどし、急速にその才能を伸ばしていきました。リーチ自身の窯も柳宗悦や黒田清輝の自宅で築くなど、如何にリーチが日本美術界で重要な位置を占めていたかが伺いしれます。

 

 1920年、来日して10年を過ぎたリーチは、イギリスに帰国しコンウォールのセント・アイヴスで浜田庄司と共に登り窯を築窯しました。この頃、イギリスの伝統技法スリップ・ウェアに見られる化粧土(スリップ)の技法を思いついたとされています。

 その後、リーチは視力が衰える85歳(1972年)になるまでの約50年間、作陶を続けました。英国と日本を行き来し、日本民藝館の設立にも関わるなど、両国の陶磁器の発展に尽し、92歳という長寿を全うしました。

 本作は、1933年・47歳の時の作品です。この頃はイギリスの伝統ある技法と日本の技法を融合させ、本国の人々にも受け入れられ始め、作家として脂の乗った時代であったともいえます。ガレナ釉の大皿は特に好まれ、山の裾野の家々へ向かう農夫の図柄は、代表的な作品のひとつです。

また、特筆すべきはこの箱書です。リーチは日本人のように、作品にタイトルを付けることがありません。そのせいか、共箱があることは大変珍しく、あったとしても、箱書を作品と同時期に書くことは少なかったようで、作品と箱書の年代が違うこともしばしばあります。今回の箱も、2年後の1935年に書かれています。そして何より珍しいのが、蓋の甲に描かれた大鉢の図柄です。よほど作品に思い入れがあったのか、持ち主に大いなる感謝を表してなのかは分かりませんが、一見する価値ある作品です。

 

 また、今回は古美術オークションも開催されます。

願経のコピー

鏡のコピー室町時代の足利尊氏が自署している願経や、赤烏元年(西暦238年)という年号の入った銅鏡といった歴史的価値ある重要美術品が出品されますので、ぜひご覧ください。

 

下見会・オークションスケジュールはこちら。

                                 執筆者:E