国焼に新風を巻き起こした名工登場 ~乾山・長次郎~


こんにちは。

 

先週から一段と寒くなりましたね。あっという間に師走。今週の土曜日に今年最後のオークション「近代陶芸/古美術/近代陶芸PartⅡオークション」が開催されます。今年は何もかもが今まで通りにはいかなくなってしまいましたが、来年は社会全体がより良い一年であってほしいものです。

さて、今回の古美術オークションの中からいくつか作品をご紹介いたします。

 LOT.161 乾山「色絵薊図角皿」
 H4.6×D31.8×W26.3cm
 底部に描き銘「乾山」
 「日本の美「琳派」展 一九九六」出品 大丸福岡天神店他/平成8(1996)年
 「知られざる御用絵師の世界展」出品 銀座松屋他/平成10(1998)年
 『尾形乾山 全作品とその系譜 第一巻 図録編』掲載 P.38 No.48(雄山閣出版)
 『尾形乾山 全作品とその系譜 第二巻 資料編』掲載 P.69(雄山閣出版)
 『乾山焼入門』掲載 P.73(雄山閣出版)
   落札予想価格:500万円~1,000万円

乾山(けんざん)【寛文三-寛保三(1663-1743)】は、本阿弥光悦の流れを組む京都の豪商・尾形宗謙の三男として生まれました。次兄は琳派の大成者・尾形光琳。芸術と富の恩恵を最も受ける環境に育ち、兄ともども時代の寵児になったことで知られています。早くから光悦の孫・光甫、樂家四代一入から作陶の手ほどきを受け、元禄期に入ると仁清から本格的に陶法を学びました。洗練された美意識による華麗な意匠と飄逸洒脱(ひょういつしゃだつ)な作風で京焼に新たな展開をもたらした名工です。

 本作は、鳴滝泉谷(なるたきいずみたに)町に窯を開き、製陶で生計を立てることにした鳴滝時代【元禄十二-正徳元(1699-1711)】から、鳴滝の窯を閉じ市中の窯を借りて製陶を行っていた二条丁子屋(ちょうじや)町時代【正徳二-亨保十五(1712-1730)】の初期までの作とされています。本作は透明釉薬の下に、顔料で絵付けをする釉下彩(ゆうかさい)の技法で草花が鮮やかに描かれており、側面は型紙で模様を付ける型摺(かたず)りではなく、流水文を手描きしている点も特徴のひとつです。

また、型物成形の角皿は図柄、サイズ共に様々なものが作られているものの、本作のような大型の角皿は現存しているものが余りありません。更に箱の形状から元々二枚入りだったことが推察出来ますが、現在一枚となってしまっており、その貴重さが伺い知れます。

また、今回は千家十職の茶碗師・樂家初代長次郎の黒茶碗も出品されます。

 LOT.162 長次郎「黒茶碗 一来」
 H8.0×D11.6cm
 如心斎・啐啄斎・碌々斎書付
 『尾州川島三輪両氏所蔵品入札目録』掲載 二五九
 大阪美術倶楽部/大正5(1916)年【目録付】
 『枇杷島川島家所蔵品売立目録』掲載
 名古屋美術倶楽部/大正7(1918)年【目録付】
  落札予想価格:800万円~1,200万円

樂茶碗は、華やかな桃山時代の茶陶のなかで、現在の茶の湯を形作った侘茶の大成者・千利休【大永二-天正十九(1522-1591)】が創意し、その意図を汲んだ長次郎【生年不詳-天正十七(?-1589)】が、装飾を極限にまで抑え生み出した茶陶です。手捏(てづく)ねで成形し、小さな内窯で一碗ずつ焼成するという、明らかに他の国焼茶碗とは一線を画した技法が特徴的と言えます。

無作為であるが故に、存在感を感じさせる作品で、見込みにはうっすらと茶溜まりが見られ、全体のどっしりとした印象に反して手に取ると軽やかです。手のひらにぴたりと吸い付く手捏ねの茶碗は、土の柔らかさを充分に伝え、点(た)てられた茶の温度を逃がさず保ち、茶の湯を楽しむことを存分に味合わせてくれます。

銘の「一来」とは仏教において一度天界に生まれ再び人間界に戻って悟りに入る者のこと。表千家七代・如心斎(じょしんさい)の内箱、八代・啐啄斎(そったくさい)の中箱、十一代・碌々斎(ろくろくさい)の外箱が添います。また碌々斎は、冬が終わり春が来る、悪いことの後に良いことがやって来るという「一陽来復」の意味も銘に付け加えました。

樂茶碗の創始者で究極とされる長次郎の黒樂茶碗。ぜひ間近にご覧ください。

 

その他にも、河井寛次郎の作品が55点出品されます。このように多くの作品が一堂に会することも滅多にありませんので、ぜひこちらもお楽しみに!

 

また会場にお越しになられなくても書面、電話、オンラインでも入札を承ります。カタログをお持ちでないお客様は、オンラインカタログでも作品の画像をご覧いただけますので、まずはそちらからお気軽に覗いてみてくださいね。

スケジュールはこちら。

執筆者:E