9月22日開催の陶芸オークションにおいて、萩焼を代表する三輪窯から「三人の三輪休雪」……十代休雪(休和)、十一代休雪(壽雪)、そして2003年(平成15)に十二代を襲名した三輪龍作の作品が出品されます。
三輪窯の再興と繁栄を導いた十代、そして萩焼の伝統を守りながら、その枠を越えて新たなる挑戦を続ける十一代、十二代の歩みを紹介します。

1663年(寛文3)、初代休雪の時代に萩毛利藩の御用窯として、三輪窯は開かれました。萩焼は元来15世紀の終わりに渡来した朝鮮の陶工達の手により発展したやきものです。その高麗・李朝の作風に加え、三輪家初代と四代の再度にわたる楽焼の習得により、三輪窯は萩焼の和風化を促進させました。

三輪家九代雪堂の次男として、1895年(明治28)に生まれた十代三輪休雪(本名:邦廣)は幼少の頃、八代雪山に陶工としての薫陶を受け、1927年(昭和2)九代の隠居に伴い32歳で「十代休雪」を襲名しました。
1942年(昭和17)には、荒川豊蔵・金重陶陽らと「からひね会」を結成し、桃山茶陶を研究する一方で、萩の源流である「高麗茶碗」の研究や萩独特の白釉についての修練の中で、弟節夫(十一代休雪)とともに「休雪白」と呼ばれるほのぼのとした春雪のような美しい白釉を生み出しました。
昭和42年(1967)に弟節夫(十一代休雪)に代を譲り、「休和」と名乗ります。晩年は、紫綬褒章を授与されるなど絶賛を博しました。一方、個展活動を一時中断し、一作一作精魂を傾け、「休雪白」をはじめ白釉の激しく流れる様を景色とする作風など「休和様式」を確立しました。
昭和45年(1970)には「重要無形文化財保持者(人間国宝)」(萩焼)に認定され、陶芸界の至宝として不滅の功績を残しています。

十代休雪の弟である十一代三輪休雪(本名:節夫)は、1927年(昭和2)に中学校を卒業後、兄に続き家業に就きました。折しも、時代は地方窯衰退の時期にあり、不況に喘ぐ三輪窯再興を兄弟に託された形となったのです。
「休」と号し、作品を発表し始めたのは、1955年(昭和30)45歳の頃。作家として確立する前に裏方として三輪窯を支え続ける中で、萩焼の伝承技法を習得しました。
また、1941年(昭和16)に三輪窯を訪れた川喜田半泥子(1878〜1963)から茶陶制作の基礎を学び、伝統技術を自己の表現に生かす作陶姿勢を確立しました。
1967年(昭和42)、57歳で「十一代休雪」を襲名し、その後、茶陶制作は円熟味を増します。「琵琶釉」や「休雪白」を用いる「白萩手」、「紅萩手」など素材独特の質感を生かしながら、たっぷりと釉をかけた迫力のある縮れの美を生み出しました。1983年(昭和58)に十代休雪と同じく重要無形文化財保持者となり、その二年後、1985年(昭和60)に発表されたのが「鬼萩茶碗」です。旧来呼ばれてきた「鬼萩手」とは、ただざらざらとした質感という作風にとどまっていただけでしたが、十一代休雪の「鬼萩」は「鬼」という名のとおりに、荒砂を極限まで混入した土を用いて作陶しました。また、黒化粧と「休雪白」の色の対比によって、その荒々しさはさらに強調されています。茶碗においては、高台を高くし、十字割にされた「割高台」という手法をとり、一層「十一代休雪」の創造性を高めました。
2003年(平成15)に長男龍作に代を譲り、隠居後「壽雪」と号を改めました。昨年の2006年(平成18)には、96歳にしてなお新作を発表。壽雪としても更に独自の萩焼の追求に力を注がれています。

十二代を継承する以前の作家“三輪龍作”の活動は、伝統を継承しつつ、独自の世界観を打ち立てる前衛陶芸家としての面を多く持ち合わせてきました。約40年にわたる作陶は、昭和42(1967)年東京藝術大学大学院陶芸科の終了制作「ハイヒール」からはじまり、「LOVEシリーズ」「金彩」「人間シリーズ」など、<生や死、愛やエロス>を具現化した作品群を生み出しました。
今回出品される「卑弥呼山」は、1988年に開催された「卑弥呼展」からはじまったシリーズのひとつです。白萩釉を金彩に置き換え、黒化粧と組み合わせ、幻想的な古代の女性、「卑弥呼」への想いを豪華に雄大に表現しています。
そして2003年(平成15)に「十二代休雪」を襲名した後も、独自のモチーフや技法を用い、「白萩釉」という根本的な三輪家の伝統的特徴にとらわれず、自身の構想を基に作品を発表し続けています。
参考文献:
図録『萩焼の造形美 人間国宝 三輪壽雪の世界』朝日新聞社、2006年
『炎芸術 第76号』安部出版、2003年
図録『萩名門 三輪窯伝統と革新の歩み展』中日新聞・松坂屋美術館、1996年
図録『陶芸・三輪龍作の世界―愛と死の造形―』下関市立美術館、1994年
図録『人間国宝 三輪休和』朝日新聞社、1983年