
1887年、帝政ロシア厳寒の村ヴィテブスク。マルク・シャガールは、この村の刑務所の裏にある、貧しいユダヤ人街に生まれました。鰊倉庫で働く無骨な労働者を父に持ち、厳しいユダヤの伝統の下に育てられた青年は、やがて画家となることを夢見るようになります。そして1910年、芸術の最前線に触れるべくパリへと旅立ちます。その後、第一次世界大戦、ロシア革命と、国家の動乱に翻弄されながらも制作活動を続け、ユダヤの伝統に根ざした独自の幻想的な絵画世界によって、確実に画家としての名声を上げていきました。
1939年、第二次世界大戦が勃発します。ナチスからの逃亡、亡命先アメリカにおける妻・ベラの喪失など不幸は続きます。やがて失意の日々に疲れ果てたシャガールは、安寧の地を捜し求めるようになっていきます。終戦を迎えたフランス各地を巡り、1950年、シャガールは地中海沿岸の街・ヴァンスを自らの終焉の地と定めます。
アンリ・マティスのロザリオ聖堂が立つ、南仏の宝石のような町。その温暖な気候と、2番目の妻・ヴァヴァの存在は、シャガールの芸術に新たな光を射し込み、精力的な制作活動へと駆り立てていくこととなります。
1950年代以降のシャガールの芸術は、ピカソやマティスも通っていたという工房での陶器の制作に始まり、1964年にはパリ・オペラ座の天井画を完成、その他、版画や舞台美術、そして晩年の最大のテーマである聖書に材を取った作品の連作や、ステンドグラスの制作など多岐にわたります。
光の効果を理解し、色を最大限に活用することを学んだこの時期、その新しい発見は油絵にも明暗に富んだ色彩表現として現れるようになります。強い空間分割の表現は息を潜め、空気に溶け込んでいくような繊細な輪郭線が、明度を増した色彩表現と相俟って、特異な叙情性を際立たせています。
初期から登場する故郷の風景や恋人たちは、この時期にも引き続き描かれました。しかしそこには、普遍的な愛を説く聖書の言葉を自らのものとした、晩年のシャガールのみが表現しうる豊かな世界が広がっています。

「あの悲しくて、それでいて楽しかった私の町よ」
註
本作品の背景には、シャガールが生涯を通して心に留め、描き続けたヴィテブスクの町並みが広がっています。ユダヤの慣習では、夜に結婚式を挙げることがあるといいます。夜空には、創造の源泉であったベラとの蜜月を思わせる花嫁と花婿が、重力から解き放たれ夜空を自由にたゆたいます。寄り添う二人の姿は、魂の結合、永遠に続く愛の化身としてシャガールの芸術に欠かすことのできないモティーフです。
月夜に燦然と輝く雄鶏の体内からは、ヴァイオリン弾きの奏でる音楽が流れ出し、新たな人生への旅立ちを祝福するかのようです。シャガールの生家を想起させる素朴なレンガ造りの家の扉は開かれ、小さくも温もりに満ちた明かりを灯します。すべてが二人の愛を賛美し、喜びに満ち満ちています。
遠い昔に過ごした故郷での日々は、シャガールにとって過去のものではなく、常に支え続けてくれた大切な想い出だったのでしょう。ロシアからの亡命を余儀なくされ、フランスを永住の地と定めてもなお、画家の心は故郷の空へと羽ばたき、雪に覆われた村を静かに照らしています。
註マルク・シャガール『わが回想』三輪福松/村上陽通訳 朝日新聞社 P.7