【 安井曽太郎 / 1888年‐1955年 】
1888年(明治21年)、京都の木綿問屋を営む商家に生まれた安井曽太郎は、1903年、聖護院洋画研究所に入門し、浅井忠や鹿子木孟郎の指導を受けた。そこでは後年まで良きライバルとなる梅原龍三郎と出会い、ともに研鑽を積んだのである。1907年、念願のフランス留学の機会を得ると、アカデミーで学んだ写実と、ポール・セザンヌをはじめとする後の巨匠たちの作品から受けた影響とがキャンバスの上で融合されていった。

1914年に帰国した翌年、当時27歳の安井は、第2回二科展で披露された滞欧作が高い評価を受け、華々しく日本洋画壇にデビューする。しかし、当時留学から戻ってきた多くの画家たちと同様、安井もまた油絵で日本の風土を表現する困難に苦しめられるのである。
そして、およそ十年に渡る長い模索の時代を経て、1929年、第16回二科展に出品された《座像》において初めて登場する“安井様式”に辿り着く。これは大胆なデフォルメを駆使することにより、対象の本質的な性格と美しさの表現を可能にした。

こうして自身の画風を創造していった作品群は東洋的な雰囲気を帯び始め、西洋の油彩画を咀嚼し、日本の伝統や風土に根ざした安井独自のリアリズムを開花させた。1952年、「梅原・安井時代」という一時代を築き上げた梅原龍三郎とともに、文化勲章を受章している。

【 作品解説 】

本作品は、湯河原の天野屋別荘に制作の拠点を移した1949年作(当時61歳)。湯河原時代と呼ばれるこの時期、豊かな自然に囲まれて身近なものをじっくりと描き、静物画を中心に円熟した画業を展開させていった。とりわけ、果物のモティーフを好んで描いたという。静物画は、晩年に近づくにつれて卓上から室内へと空間設定が広がり、自由なアングルで捉えられるようになった。それは、安井が中心となる題材のみならず、画面全体の構成を課題としていたためである。こうした構成への強い関心は、《桃》(1950年作・京都国立近代美術館蔵)をはじめ、この時期最も高まりを見せる。

本作品では深い赤絵の皿に盛られた桃を中心に、椅子のある室内、そしてカーテンとガラス戸から外へと、空間は奥へ広がっていく。外から差し込む光線がそれを巧みに補うとともに、桃をドラマティックに照らし出し、その美しさを生き生きと見せている。その理知的な構図を支える練達した素描は、形や性質といった対象のすべてを描出し、鮮やかな色面と太い輪郭線は、それを要約し、強調する。「自分はあるものを、あるがまま儘に現はしたい」(註)と自ら語ったように、モダンな室内は実物を凌ぐほどにみずみずしく甘い桃の香りで満たされるのである。

註)嘉門安雄『安井曽太郎』日本経済新聞社 1979年 p.208
配信日:2007年4月 / Copyright 2007 Shinwa Art Auction, Co. Ltd. All rights reserved.

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