2006年12月2日(土)に開催されたコンテンポラリー・アート・オークション。前夜に行われたClubnight Previewには350人もの方々にお越しいただき、大盛況の一夜となりました。120点を越えるオークション出品作品に囲まれながら、弊社代表取締役社長・倉田陽一郎と美術評論家・松井みどり女史によるレクチャー・対談が実現。その内容をお伝えいたします。

倉田:
本日はシンワ・コンテンポラリー・アート・オークションの前夜祭的な位置づけとなるクラブナイト・プレビューにご参いただき、ありがとうございます。シンワアートオークションでは、これから日本で本格的なコンテンポラリーアート市場を育て、日本発で日本の素晴らしいアーティストをオークションを通じて世界中に知らしめてまいりたいと思います。そのために、オークション会社はオープンな流通という一つの役割を担うことになりますが、アーティスト、ギャラリスト、コレクター、キュレーター、美術館等、アートに関わる全ての人達と協力しながら盛り上げていき、今日、ここにお集まりの全ての皆さんと一緒に歩んでまいりたいと思います。

  さて、今回は、皆さんご存知の美術批評家でありキュレーターの松井みどりさんと、日本のコンテンポラリーアートの流れについての対談をさせていただき、引き続きテクノへブン・ギガヘルツ、そしてウジノ・アンド・ザ・ローテーターズのDJでお楽しみいただきたいと思います。
 まずは、日本のコンテンポラリーアートの流れを整理する意味でも、松井さんから歴史の順を追ってお話いただきたいと思います。宜しくお願いいたします。

 
松井:
日本の現代美術は、1950年代から存在します。しかし、それが、同時代芸術として国際的に求められるようになったのは、90年代以降ではないでしょうか。
 50年代から続いてきた日本の前衛芸術、つまり、「具体」や「もの派」も「ハイレッドセンター」も、それぞれアーティストが自分の住んでいる時代や環境への答えとして出した表現であり、海外の前衛芸術とも連動していました。ただそれを評価したのは日本ではなく海外の人でした。また、そういった前衛運動にかかわっていた人数もとても少なく、波のある海のような形ではなく、孤立した島のような感じで現れました。また、評価も遅れていて、60年代〜80年代には世界の目が日本に向けられていなかったので、日本の前衛への認知もむしろ、90年代の新しい日本の芸術への感心がもたらした結果として、すすめられることになったのです。

  それに比べて、1989年以降に出てきた日本のコンテンポラリーアートでは、まず、間を空けずに、次々と才能を持ったアーティストが、集団で、波のように出てくるようになったのです。また、グローバリゼーションということもあり、そうした新傾向の認知も早かったんですね。海外の人が日本にやってきて、日本にも自国の芸術の新傾向と似たようなものがあることを発見し、たまたまこの人たちは日本人だからこういう表現をしているのかもしれないけれども、これは自分たちの国のアーティストたちと同じ精神でやっているのではないかと認められるような状況が昔よりも出てきたんです。
倉田:今、海外のコンテンポラリーアートを金銭的な価値という面から見てみると、かなり高額で取引されていることが、マスメディアにも頻繁に取り上げられています。しかし日本ではそういったことはなかなか表に出てきません。たとえば、この会場にもある村上隆や奈良美智のように、日本人でも世界的に活躍しているアーティストはいますけれども、日本発で全世界にアートを発信する力が弱いのは、国内のオープンな流通市場が整備されていなかったからではないかと思います。

  現在、世界中でさまざまなアートフェアが開催されており、日本のギャラリーも90年代位から積極的に参加して日本のアートを海外に紹介してきています。それらのギャラリーを援護射撃する形になればよいのですが、これからはオークションというのもひとつの役割を担うことになると考えています。オークション会社とギャラリストが協力し合って頑張っていける仕組みが必要だと考えています。


松井:
それはその通りだと思います。ここでもう少し話を前に戻して、89年や90年代の日本のアートというのが、どのようにグローバルスタンダード、同時代芸術として認知されるようになってきたかということをもう少し説明させていただきたいと思います。

  まず、ポストモダン化というのがこのことに大変貢献していると言うことができると思います。大衆文化や消費社会やメディアの広がりが、従来の高等芸術と低級芸術との境目を曖昧にし、マルクス主義などの思想の権威の失墜が、価値の流動化をもたらすなかで、アートに対するものの見方も変わってきたのですね。ところで、なぜ89年が、日本のアートのグローバル化の始まりの年なのかというと、日本の現代美術がコンテンポラリーアートとして海外に評価されるきっかけを作った作家たちが、次々と海外の重要な展覧会で作品を発表したからです。その方たちは、杉本博司さん、宮島達男さん、森村泰昌さんです。この3人は、日本のポストモダン芸術の第一世代であり、三羽烏と言われたりしています。たとえば森村さんはベネツィア・ビエンナーレにも出たりしていますが、彼等の作品が評価された最初の年が89年だったんです。森村さん、杉本さん、宮島さんの成功の理由は、欧米のポストモダン芸術の方法を、自分の表現の枠組みにうまく取り入れていったからですね。杉本さん、宮島さんの場合は、幾何学的な形や同形反復を使ったミニマリズム、森村さんの場合は、シミュレーショニズムやアプロプリエーションです。森村さんは、メディア社会の中で流通しているイメージ、あるいは美術史の中で定着してきた、西洋文化を代表する人間のイメージをコピーすることによって、自分の作品の中に取り込んで、それを皮肉な形で変換することによって、日本人と西洋文化の関係性を考えさせるような作品を作りました。杉本さん、宮島さんの場合はミニマリズムを基にしているけれども、作品の中に、「禅」や「もののあはれ」といった日本的な感性を盛り込むことによって、海外の人が見たときに、現代美術的でありながら、日本人の特質を読み取ることのできる表現を行いました。それによって、海外の観客が、日本の文化を、エキゾチックなものとして捉えるのではなく、むしろ自分たちと何かを共有しながらも違うものも持っている同時代の表現と認識することに大きく貢献したのです。

  杉本さんもシミュレーションという手法を使っています。たとえば、「ジオラマ・シリーズ」では、美術館の中などで、人間が自然を理解するために作ったジオラマをわざわざ写真に撮ることで、人間が世界を見る時の観点の偏りを表現しました。杉本さんにしても森村さんにしても、写真の中で見せているものがすべてではなく、写っているものを通して、現代社会の問題点や、近代が作り出してきた自然支配の仕組みについて、観客が考えることができるような、言説喚起的な表現をうち出していたのです。

  クレイグ・オーウェンスという評論家がポストモダン芸術の特徴をいくつか挙げていますが、そのうちもっとも大きなものとして、アレゴリー性があります。それは、具体的には、ひとつの断片を通してより複雑で大きな文脈を想起させる力ということです。彼に言わせれば、ポストモダン芸術というのはサイトスペシフィックという、ある場所の特質性に敏感に反応する性質を持たねばならず、また、いろいろなものを組み合わせて何かの内容を暗示しなくてはなりませんでした。つまり、目で見て分かるだけでなく、目で見たものを通して物を考えさせたり、現代社会について話をさせたりするような力を持たなくてはいけなかったのです。杉本さん、宮島さん、森村さんの作られた作品は実際に言説喚起力を持っていました。この3人のお陰で、その後の世代がとてもやりやすくなったということがあると思います。
倉田:つまり第二世代ですね?


松井: はい。第二世代に含まれる代表的な作家としては、村上隆さん、会田誠さん、奈良美智さん、小沢剛さん、曽根裕さんの5人がいます。

  では、第一世代と第二世代の間にはどんな違いがあるかというと、決定的な違いがあります。それは、たとえば杉本さんは1948年、森村さんは1951年というように、第一世代は40年代後半から50年代前半生まれであるのに対し、第二世代は圧倒的に1960年代前半生まれの人たちなのです。私は、この第二世代によって、日本のポストモダン社会の中で生まれ、その文化に対して何か言うべきことを持つ人たちの表現が始まったのだと思います。第一世代の人たちは、アメリカの現代美術界で非常に広く認知されている方向性をよく学習した上で、その中に日本的な内容を盛り込んでいくことで成功しました。 ところが第二世代は、生まれ育って生きてきた社会がすでに世界的に共有されているポストモダン社会だったのです。アメリカ的な大量消費社会や大衆メディアが、広い範囲で流通して多くの人の生活の基盤になっていった中で生まれて育ってきた人たちは、その世代特有の感性や、考え方を持っていると思います。そういった社会の中にある精神的な共通言語があったとしたら、それに対してどのような解釈を与えるべきなのかという問題意識が芽生えるはずなのです。 つまり、第二世代の日本のアーティストたちは、身の回りにある事物を題材にしながら、現代社会、すなわちポストモダン社会とどのように付き合っていくかについて、独自の視点を出そうとしているのです。
倉田:松井さんも私も、ちょうど65年前後の生まれなので、感性としては、まさしく第二世代に属すると思います。
松井: 第二世代にもいくつか傾向があって、先ほど第二世代として5人のアーティスト(村上、会田、奈良、小沢、曽根)の名前を挙げましたが、この5人はそれぞれまったく別の傾向を持っています。また、この5人を中心に、約5種類くらいの第二世代のアーティストというのが観察できます。まず、村上さんが代表しているのは、日本のネオジオ、ときにネオ・ポップとも言われますが、日本のアプロプリエーションアートだと思います。それは、レントゲンヴェルケの池内務さんが、1991年から92年までにレントゲン藝術研究所というギャラリーで展開していた同時代アートでもあったのです。どういうものかといいますと、今この会場にもスケッチの作品がありますが、村上さんが1992年に制作した『シー・ブリーズ』のプランですね。幾何学的な枠組みのなかに、アニメから取ったモチーフ(ロケットの噴射口を下から見たところ)を入れています。同じような傾向を、ヤノベケンジさん、森万里子さん、中原浩大さんといった人たちが担っていました。 日本のネオジオ、つまり、幾何学的なフォームを枠組みにし、鋼鉄やプラスチックといった工業的素材を積極的に使う一方で、「オタク」カルチャーというか、日本のアニメや漫画からインスピレーションを得て、怪獣やロケットを思わせるようなイメージを枠内に取り入れているのです。こういう表現が生まれたのは、60年代生まれの世代が育ってきた時代、彼らの精神形成にもっとも大きな影響を与えたのが、漫画やアニメだったからです。アニメや漫画の表現は、ある世代の文化的な無意識といっていいようなイメージの母体を作り上げていました。それを積極的に作品の中に取り込むことによって、大衆文化的なイメージが、人間の精神形成に影響を与えることがあるという状況を反映することができました。そこで、ポストモダン芸術に必要とされる言説喚起力が非常に強く表れたのだと思います。つまり、ネオポップは、日本の60年代前半生まれのアーティストが、自世代の共通感覚を表現しようとして、自分たちが親しんだアニメや漫画のイメージを使って作り上げた日本発の同時代アートだったということができるのです。

  「ネオジオ」という言葉は、そもそも、アメリカの80年代半ばに出てきました。ジオというのはジオメトリーということで、幾何学的なフォームを使うということなのですが、アメリカのアーティスト、ジェフ・クーンズの場合、幾何学的な箱の中に入っているのがバスケットボールだったり、デミアン・ハーストというイギリスのアーティストの場合は、ぶつ切りにされた動物のホルマリン漬けだったりしました。つまり、枠組みに幾何学的なものを使って、見かけはミニマリズムなのですが、中にある土地や文化特有の、ドラマ性のあるものを入れることによって、全体としては現代社会について考えさせるような効果を持つ彫刻を作ると、ネオジオになります。ネオジオは、基本的にはアメリカで80年代に始まって、ジェフ・クーンズ、メイヤー・ヴァイスマン、ピーター・ハリーらによって担われ、彼らの展覧会が87年にイギリスのサーチ・ギャラリーで開かれ、その頃「シミュレーショニズム」という名前がつけられました。そして、展覧会を見たデミアン・ハーストが、イギリス的感性に合った、独自のネオジオ表現を発展させていきました。村上さんやヤノベさんの作品も、ネオジオの日本的展開と理解することができます。

  実際、椹木野衣さんは、彼等のアートを「ネオポップ」と命名して解読していこうとしました。今、世界の美術館が日本の現代美術を体系的に取り扱う際にまずそろえようとするのが、日本のネオジオとしてのこの世代の表現なのです。森万里子さんの作品にも、森さん自身が人魚に扮したり、セーラームーンのコスプレをしたりすることで、日本の女性がどういうステレオタイプで見られているかということをユーモラスにゆがめる形で演じていた作品がありますが、あれも、アプロプリエーションであり日本のネオジオでした。


 
  同時に、同じ世代でも、ネオポップに対立する表現も出てきたのです。それは小沢剛さんや会田誠さんたちの芸術で、日本の土着的な事象を材料として取り込みます。たとえば小沢さんの作品に「なすび画廊」というパブリックプロジェクトがあります。それは、60年代牛乳が配達されていた箱の中に、友達から借りたアート作品を入れて、画廊に見立てて銀座の街角に放置するというプロジェクトで、93年に行われました。それは実際はとても挑発的な表現でした。当時は貸し画廊が大きな力を持っていて、アーティストは1週間画廊を借りるのにかなり大きな額のお金を払わなくてはならず、そのわりに人があまり来ないといった状況がありました。それを皮肉る形で、もっと自由に手軽な形で展覧会を銀座でやろう、という試みだったのです。重要なのは、作品をストリートに放置してしまったということです。当時はまだ、美術は特別なものだから、守られた空間で見るものと思われていました。日常とかけ離れた無機質な空間で美術を見るからこそすばらしいという考え方があって、ギャラリーのことを「ホワイト・キューブ」(白い空間)と言ったりしていました。「なすび画廊」も中は真っ白に塗ってあるので一応「ホワイト・キューブ」なんですが、外から見るとやっぱり牛乳箱なんですね。それを銀座の街角に放置して、手書きの新聞で案内するんですが、それを持った人たちが「展覧会」を探しにくるのです。これは一種の介入芸術でした。介入芸術というのは、60年代にインターナショナル・シチュエーショニストが行った、パブリックアートの一つの方法です。街というのは機能によって分割されていますよね。たとえば、銀座に来たら、ビジネスなりショッピングなり、目的があるんですね。機能主義的なポストモダン社会では、目的なしに人は街を歩かない。そこでシチュエーショニズムが取った方法というのは、そこにわざと人の流れをストップさせるような、あるいは逆に気ままにその辺をそぞろ歩く--この行為は、「漂流」という言葉で表すのですが--そういった行為を行うことによって、機能によってがんじがらめになった都市空間をもっと自由なものに変えていこうという方法で、50年代の終わりくらいに提唱されました。小沢さんはそのことは知らなかったかもしれませんが、ハイレッドセンターという、高松次郎、赤瀬川源平、中西夏之のグループが60年代の初めにやった、銀座の清掃プロジェクトが頭にあったのだと思います。そしてこの「なすび画廊」は、93-95年にかけて日本各所で展開された後、97〜98年にかけて、ホウ・ハンルーとハンス=ウルリヒ・オブリストが企画した、アジアの都市を巡回したグループ展「Cities on the Move」(移動する都市)に取り入れられて、一種のリレーショナル・アート、つまり関係性の芸術性として評価されていきました。 つまり、日本のアーティストが自分の生きている環境に対して答えを出す形で作った作品が、海外から見ると美術史に残るようなコンセプチュアルな方向性を持っていたのです。

  今、リレーショナル・アートという言葉を使いましたが、リレーショナル・アートというのは、関係性の芸術と言います。小沢さんの「なすび画廊」は、友達の作品を借りていたのですが、その作品を取り替えるので、何人もの人が関与してきます。アーティスト同士の友情が作品作りのファクターになっていました。それと同時に、その作品自体が観客も含めていろんな人が集まる場を作っていました。そのように、ものが中心ではなく、ものを中心としてコミュニケーションが広がるような芸術を、関係性の芸術といいます。それは、90年代後半のヨーロッパで主流になりましたけれども、小沢さんの作品は93年で、すごく早かったのです。

  しかも、小沢さんが使った牛乳箱は、村上さんのアートがアニメなど、日本の消費社会の産物を反映していたのに対して、反グローバル化というか、日本社会が進歩する中で捨て去ってきた物をわざわざ使っていたんです。同じ世代なのに、かたや、自分たちが育ってきたポストモダン社会の表象をうまく使いながら日本独自の表現を打ち出した人たちがいて、かたやそういったものに反発する形で、ポストモダン文化に捨てられたものを材料に新しい表現を作った人たちがいた。彼等が同時に、90年代の前半に出てきていたんです。
倉田:なるほど。第二世代についてよく分かりました。続いて、もしよろしければ第三世代とそれに続く世代についても簡単にお話しいただければと思います。



松井:
今、第二世代のアーティストとして奈良美智さんの名前を挙げましたが、奈良さんは第三世代のアーティストのお兄さん的存在でもあったと思います。

  奈良さんの登場によって現代美術の見方が変わりました。小沢さんが出した新しいタイプの介入芸術にしろ、村上さんやヤノベさんが出した日本のネオジオにしろ、一種のコンセプチュアル・アートだったと思うんです。つまり、作品を通じて社会について語ったり、社会通念を揺さぶったりするのを目的とした作品だったのですが、そういう言説喚起能力を持った作品が評価される一方で、具象絵画というのは軽視されていたんですね。60年代から90年代前半まで、ネオエクスプレッショニズムのような例外は除いて、現代美術のなかで、世界的に具象絵画はポップアートや資本主義リアリズム以外は周縁的な存在でした。これは、グリーンバーグが1939年に「前衛とキッチュ」という論文を書いたときからずっとそうで、具象絵画というのは売り絵で、現代美術とは違うもの、というふうにずっと思われていたのです。ところが、世界的にもそうなんですが、1995年くらいから流れが変わって、具象的なイメージを使って、しかもそれに皮肉とか社会批判とか何も込めず、むしろ内面性を表現したり現代の世界にある新しい美を表現しようとした具象表現が、認められるようになってきたのです。

  奈良さんが東京のギャラリーで初めての大きな絵画の個展をしたのは95年でした。それは非難を受けるどころか、美術関係者の間で評判が良かったのです。それをひとつの機会として、奈良さんや小林孝亘さんのように、具象画を使いながら現代人らしい感性で、日常生活の中にある神秘的で霊的な瞬間を捉えた絵画が出てきました。それが、いわゆる第三世代の表現に門を開いていくのです。

  第三世代のアーティストには、たとえば、伊藤存さん、杉戸洋さん、落合多武さん、青木陵子さんといった方たちがいます。第三世代の特徴は、同じ具象表現を使っていても、奈良さんの表現とははっきり違います。どこが違うかといいますと、奈良さんの作品は、ひとつの大きなイメージを中心として感情世界が作られる、シンボリックな表現なんですね。ところが、伊藤さん、杉戸さん、落合さんの作品というのは、小さなイメージを組み合わせたり、線や点の動きによって、ある構造から別の構造に自由に移動していくような、連想ゲームのような作品なんです。それはつまり、第二世代の、物語性、社会性、ドラマ性志向から、第三世代の表現の中心が「知覚」へとシフトしていき、それと同時に表現自体もより流動的になってきたということなのです。また、具象絵画でありながら、抽象と具象のあいだを行ったり来たりするような表現も出てきます。



  では、第四世代のアーティストはどんな表現をするのでしょうか。第三世代のアーティストがイメージを操作することによって知覚や連想の自由な動きを表現しようとしていたのに対して、第四世代は人間が外の世界と接触した効果を表現しようとするのだと思います。つまり、暑いとか寒いとか、暗いとか明るいとか、広いとか狭いといった体感覚の世界。それは、人間でない存在にも共通する世界だと思うんです。ただ、人間が、合理的な「意味」によって世界を理解しようとするのに対して、意味にまだなっていない体感覚の世界、つまり身体的な影響力のようなものを、第四世代は表現しようとしているのだと思います。 たとえば、この会場の奥に作品がありますが、カンノサカンさんとか忽那さんの作品にそうした傾向が見られます。倉田社長は第四世代の作品がお好きなようですが?

倉田:今回出品されている、あるがせいじという作家の、小さな構造物の作品がありますが、写真では良く分からないのですが、実物を見ると目が吸い込まれていくんです。それは、あの小さな作品の中に、吸い込まれていくような大きな宇宙を感じることができるからなんですね。先ほど松井さんがおっしゃられた中に、人間の意識の外にある何かを表現しようとしているということがありましたが、それは普遍的なものなのではないかと思います。

松井: そうですね。普遍的だし、より身体的です。あるがさんの格子構造の作品を見て、小さいのに吸い込まれるような気持ちがするというのは、格子構造が、世界のパラダイムだからだと思います。 「世界」とは、人間を中心として事物が調和的に並べられているものだというのが近代の考え方だとしたら、西洋近代以外や、それ以降の世界の捉え方は、小さな分子が集まってたまたまある構造を作っていて、それが何かの拍子に壊れるとまた集まって新しい構造を作るというような、生成の過程として世界を捉えます。例えば、スピノザはそういう考え方をしていましたし、日本の仏教もそういう考え方をしていると思います。実は、60年代にもそのような考え方を反映した表現が短い期間、流行ったことがありました。たとえば草間彌生さんやブリジッド・ライリーなどのオプ・アートが登場したときに、断片のつながりを持って構成される脱中心的な視覚世界に人の関心が集まったことがあるのです。その根底にあるのは、人間の意図とは関係ない、単純な構造の組み合わせによって、内側にも外側にも拡張していくような世界の見方です。そのような生成のあり方は、植物的と言ってもいいし、分子的と言ってもいいと思うんですね。

  ところが、2000年を超えたあたりから、現代美術の中で、またオプ的な考えや表現が盛んに扱われるようになってきました。海外のアーティストだと、オラファー・エリアソンとか、カールステン・ヘラーなどがいますが、日本のアーティストの中にも、そういった単子論的な世界観を反映した田中功起さんのようなアーティストが出てきました。忽那さんの作品は、一見ランド・アートのようにも見えますが、それは、より限定された意味でのランドアートかもしれません。つまり、人間の外の世界を表そうとしているけれども、風景として示すのではなく、外の世界が自分に伝えてこようとしているもの−たとえば、光の感覚とか、広さの感覚といったものをとおして表現しようとしているのだと思います。

  普通のランド・アートだと、ある場所に行って自分がした行為の痕跡を写真に撮ります−これをドキュメンテーションといいます。その行為の根底にあるのは、土地の特殊な条件や、その広大さと出会った時の衝撃だったりします。ところが2000年代に出てきた表現には、大げさで、広大なものってほとんどないんですね。むしろそんなに無理をせずに、日常生活のなかで、ランド・アーティストが捉えたような、ある構造が壊れて別の構造が出来上がってくるまでの間の暫定的な状態を、もっと身近な形で表現しようとしています。また、外の世界が持っている、広がりとか眩しさとか暑さとかを、手に入る材料や手段を通して表現しようとしているのです。

  このように、日本の現代美術には、日本にありながら、60年代、70年代に出てきた現代美術の方法論とまったく無関係でもない表現があるのです。

倉田:なるほど。どうもありがとうございました。
残念ながら時間切れになってしまいましたが、今のお話に、日本のコンテンポラリーアートは、第一世代から第四世代に向かっているということがありましたが、今回のオークションに出品されている作品は、このすべての世代の作品を網羅していますので、出品作品を見ていただきながら、皆様に日本のコンテンポラリーアートの流れを少しでもご理解いただければと思います。


松井:
最後に、今日お話しさせていただいた日本のアートの第三世代、第四世代に関連して少し宣伝させていただきますと、来年の2月3日から水戸芸術館で開催される「夏への扉:マイクロ・ポップの時代」という展覧会をキュレーションいたします。キュレーションをするのは初めてなのですが、私がこれまで評論家として積み上げてきたひとつの考え方を外の世界に出す試みです。その展覧会では、まさに先ほど言ったような、断片を組み合わせて流動的にひとつの美学や世界観を構築するような人たちの作品が出品されます。その中には杉戸さんや、伊藤存さんの奥さんの青木陵子さん、落合多武さんなどの作品などが含まれています。またそのほかに、第四世代に当たる、田中功起さんや、泉太郎さんや、半田真規(ハンダマサノリ)さんなど、イメージを操作するのではなく、外の世界が人間の視覚に与える影響力をよりフィジカルな形で表現する人たちの作品を取り上げますので、このオークション会場の延長だと思って、ぜひ観にいらしてください。
倉田:皆様お時間ありましたらぜひ足をお運びください。今日は本当にどうもありがとうございました。

次回のコンテンポラリー・アート・オークションは4月14日(土)を予定しております。
前夜祭・プレビューなど、コンテンポラリー・アート・オークションのイベント情報をメールにてお知らせいたします。
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配信日:2007年1月 / Copyright 2007 Shinwa Art Auction, Co. Ltd. All rights reserved.