
1.歴史ロマン-コイン収集
そもそも、コイン収集の愉しみはどこにあるのでしょうか。
稀少性や資産価値もひとつといえるでしょう。また、コインは海外のオークション市場でも取引のある、国際的コレクションアイテムです。日本にも、「一日中コインを見ていても飽きない」という程のファンは沢山いらっしゃいます。軽くて管理しやすいことや、お金という大変身近な存在であることも、コレクションのしやすさに繋がっているのかもしれません。
しかし、その最大の魅力は何百年・何千年前に生きた人々の生活の息吹を感じられることかもしれません。古のコインを手に取れば、往時の人々の姿が目に浮かんでくるようです。
2. 秀吉から家康へ 日本の貨幣統一
コインには、それが発行された時代・国の様々な歴史的背景が隠されています。それを知っていると、コインが今までとは違ったものに見えてくるかもしれません。ここでは、日本の貨幣制度統一の物語をご紹介します。
そもそも日本には、江戸時代に至るまで全国共通の通貨制がありませんでした。それには鎌倉期以降中央政府の権力が不安定だったことと、荘園を基礎とする封建組織が統治体制であったため広域商業が阻害されたこと等が原因に挙げられます。しかし、荘園解体後の戦国時代に至って、貨幣を取り巻く状況は激変します。
戦国時代、大名達が自国の富国強兵の一環としてとった商業振興政策により貨幣需要は増大。採掘技術向上により、以前から貴重品だった金の産出量が増えた時でしたから、軍資金や高額取引用にと、皆競って鉱山開発を進めます。軍資金を得るための鉱山を巡りまた戦、ということもあったようですから相当なものです。
そして、豊臣秀吉の天下統一により、日本の貨幣制度も統一への一歩を踏み出すこととなりました。
豊臣秀吉は、金の茶室を建造や「太閤の金配り」などで知られる派手好みの人物です。しかし、彼はただの派手好きではなく、座(商人の特権的組織)の廃止などを決断した、経済感覚に優れた為政者でした。貨幣に関しては、全国の鉱山を支配し、史上初の大判や数種の定量・定型金貨の鋳造を行いました。これらの貨幣が褒賞や献上用として認知されたことは、通貨制度統一の先駆け的役割を果たしたと言えます。
そして、通貨制度統一と新しい貨幣の鋳造を行ったのが徳川家康です。1601年、関ヶ原の戦いに勝利して全国統一を果たした家康は、直ちに貨幣鋳造に着手します。そのことは、家康の貨幣統一、ひいては経済発展に対する並々ならぬ関心の高さを示しているのではないでしょうか。
家康が最初に鋳造させた金貨は4進法の貨幣単位をもつ計数貨幣(額面を表記し、枚数で価格を表わせるもの)でした。この貨幣制は、それまでの、専用の天秤で量った重さで交換価格を決める秤量貨幣に比べて画期的なものでした。それにより、高額・小額それぞれの貨幣統一が進み、17世紀半ばにはその一大事業はほぼ完成しました。
こうした経緯を経て、日本の貨幣制度は確立されました。
その後、幕府財政が傾くに従って貨幣は改鋳が繰り返され、サイズは小さくなり、金の含有量も下がります。それによりインフレが進み、幕府は求心力を失っていきました。
国家の浮沈を体現する貨幣。その小さな一枚には、壮大な歴史ロマンが詰まっています。
3.コインオークション下見会開催
今回のオークションには、先ほどご紹介した通貨統一にまつわる大判・小判が数多く出品されます。中でも、現存僅か数枚の武蔵墨書小判やたった一枚しか現存しない譲葉大判などは、国立博物館所蔵品クラスといっても過言ではありません。
オークションに先立ち21日から開催される下見会は、どなたでもご自由に、無料で、全ての出品作をご覧いただける展覧会のようなものです。1度コインを手に取れば、その面白さに魅了されてしまうかもしれません。日本最古の貨幣『和同開珎』はエスティメイト15万円から、ローマ時代のコインは2万円からと、手頃な価格でお楽しみいただけるものも多数出品されます。
商品について疑問な点等ございましたら、スタッフに声をおかけいただければすぐにご案内いたします。是非一度、下見会にお出かけください。
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● 主な注目作品 ● |
Lot 198 天正長大判金/第五代 後藤徳乗元書
秀吉が天正16年(1588年)に、室町幕府お抱え金工、後藤家に依頼して鋳造した史上初の大判金貨。
これほど金の含有量の多い(1000分の700〜740)大判は、以後作られていません。
エスティメイト:\35,000,000〜\50,000,000
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Lot 207 武蔵墨書小判金
「日本貨幣型録」1982〜1988年掲載
(日本貨幣商協同組合)
秀吉との戦いに敗れ武蔵の国に下っていた家康が、自国通貨として1596年から後藤家に作らせた小判。1601年には全国統一を果たしたために鋳造期間は短く、また、当時は金属節約を目的に旧貨幣を鋳潰して新貨幣を作っていたので、現存は僅か数枚といわれています。更に、この小判は家康が天下統一後に鋳造した慶長小判などより小さく、有力大名の一人でしかなかった当時の、家康の財力の限界が現れています。あの家康にも雌伏の時期があったことを感じられる一枚です。
エスティメイト:\8,000,000〜\12,000,000
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Lot 201 慶長大判金 / 第七代 後藤顕乗元書
関ヶ原の戦いに勝利した家康が1601年から後藤家に鋳造させた大判。この大判と同時に数種の金貨が鋳造され、これをもって日本の貨幣制度が整備されることとなりました。
エスティメイト:\15,000,000〜\25,000,000
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Lot 197 譲葉大判金
「図録 日本の貨幣1」掲載 p.73 580
(日本銀行調査局)
天正から慶長期の間に作られた大判の試作品と考えられています。後世に本品の模作品が作られたほど有名、且つ日銀ですら所蔵していない、現存するたった一枚の大判です。
エスティメイト:\30,000,000〜\50,000,000
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Lot 226 100円白銅貨(試作貨) / 昭和41年銘
現行通貨からも、少しばかりスキャンダラスなコインをご紹介しましょう。このコインは写真を見てお気づきの通り、正確には「現行通貨」ではありません。実はこの百円硬貨は、現在わが国で使用されている桜百円白銅貨の陰で、終ぞ日の目を見ることのなかった「試作貨」なのです。
新貨幣を発行する際、造幣局は数種類の図案を試作します。そうして、その中の一つだけが晴れて新貨幣となるのです。他の図案は日銀内に保管され、市場へは出てきません。
しかしどんな経緯があったのか、この百円硬貨はこうして市場に流出してしまいました。流出が発覚した当初は新聞でも取り上げられたそうですから、もしかするとご記憶の方もおありかもしれません。
エスティメイト:\1,000,000〜\1,500,000
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| 配信日:2007年1月 / Copyright 2007 Shinwa Art Auction, Co. Ltd. All rights reserved. |
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