日本画家。岡倉天心に師事し、新たに移入された西洋画による空気の表現と日本画の伝統的な線描を研究し、「朦朧体」と呼ばれる技法を生み出した。日本美術院を創設。明治から戦前にかけての日本画史の中心的画家といえる。
作品点数は6,000点から1万点と言われ、シンワでの取扱点数も多い。主な作品の所蔵先は、横山大観記念館、東京国立博物館、茨城県立近代美術館、横浜美術館、足立美術館。


■ 略年譜

西暦

和暦

年齢

事項

1868

明治 1

0

水戸市に水戸藩士、地図職人の長男として生まれる

1889

明治22

21

東京美術学校の第一期生として入学
古画の模写などを制作

1895

明治28

27

京都市美術工芸学校の教員となる

1896

明治29

28

東京美術学校図案科 助教授になる

1898

明治31

30

岡倉天心と共に美校を辞職
谷中に、観山、春草らと共に日本美術院を設立

1903

明治36

35

春草と共にインドへ遊学

1904

明治37

36

ニューヨーク、ケンブリッジで展覧会

1906

明治39

38

茨城県五浦に日本美術院移転

1907

明治40

39

第一回文展
文展委員となり、「曙色」など出品

1914

大正 2

46

再興日本美術院

1915

昭和 4

61

日光東照宮の襖絵を描く

1937

昭和12

69

第一回文化勲章受賞

1946

昭和21

78

第一回日展審査委員、「漁夫」出品

1958

昭和33

90

没す