《蓬菜山》
朦朧体の作品
 
《双美摘草》

 
《紅梅に鴬》
花鳥画
 
日本画家。東洋画の特色である余白を否定し、画面を色彩で埋め尽くす朦朧体を提唱し、日本美術院の運動を牽引した。朦朧体は国内では伝統的な旧派の画家や批評家から酷評されたが、ヨーロッパでは好評を博した。主な所蔵先は、東京国立近代美術館、山種美術館、長野県信濃美術館。


■ 略年譜

西暦

和暦

年齢

事項

1874

明治 7

0

長野県飯田市に士族の三男として生まれる

1890

明治23

17

東京美術学校入学

1895

明治28

22

東京美術学校二期生として卒業
卒業制作「寡婦と孤児」は最優等とされる

1896

明治29

23

東京美術学校予備課程講師となる

1898

明治31

25

天心、大観らと共に美校を辞職する
日本美術院創設

1900

明治33

27

「朦朧体画風」と呼ばれるようになる

1903

明治36

30

大観とインドに遊学

1904

明治37

31

天心、大観らとニューヨークで展覧会

1906

明治39

33

日本美術院を五浦に移す

1908 

明治41

35

網膜炎で視覚異常に陥る

1910

明治43

37

文展審査委員

1911

明治44

38

没す