第二回 「印象派よりモダンアートへ」
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今回は、アートアカデミーの最終回です。ご愛読を頂いてきた美術史講座も、丸一年を迎え、
今回「印象派よりモダンアートへ」という内容で締めくくることと致しました
<新しい現代美術>
先日、東京の六本木に、現代美術を展示する施設としては都内最大規模の美術館がオープンした。 東京都現代美術館、原美術館など優れた美術館はこれまでに数々の美術動向を紹介、美術の発展に寄与してきたが、そこに新しい空間とキュレーターが登場することによって、日本の現代美術が更に深まりを見せることが予想される。
新しいものが生まれることは、それまで新しかったものが過去のものになっていくことである。情報化時代の到来とともに、現代美術はその新旧の交代のスピードが次第に加速しつつある。
<モダンアートの始まり>
では、そもそもそうした「現代美術」、「モダンアート」は、いつからいつまでを指すのであろうか。
それは結局、現代美術とは何かという問いに直結する。 例えば、村上タカシの描くアニメーション的絵画を現代美術として認めない人はいないし、ドットのカボチャをパターン化して表現する草間弥生に、近代美術の文脈を当てはめる人は居ないだろう。
では、同じ頃に院展で活躍した杉山寧、奥村土牛らは果たして現代美術という言葉が適切だろうか。違うとするならば同じ時代に制作された絵画でも、一方は現代美術で一方はそうではない、ということになる。
現代美術は、それを見る者の観点で意味するところが異なる。
<印象派よりモダンアートへ>
一つの答えとして、モダンアートは、より国際的なアートの情勢の中で内容が左右される作品を指すというものがある。
村上のアニメーションを多用した作品は、世界に誇る日本文化として漫画、アニメーション、「オタク文化」を捉え直し、それを平面的な日本画の技術によってプレゼンテーションした所にその独自性がある。
今年ルイ・ヴィトンが始めてアーティストのイラストをプリントしたバッグを発表した影には、世界的に評価されるモダンアートの旗手としての日本人・村上タカシがいるのである。
そうした点で、モダンアートの始まりはルノワール、モネといったフランス印象派であると考える見方もある。 印象派は対象の輪郭線や固有色を否定し、光の三原色という理論を元に屋外で写生した絵画を制作した。それは、一つの絶対的なももの見方を強いられた絶対王政時代から、
個人個人の思想を尊重した近代の市民社会が形成された時代であった。 光の当たり方によってものの見え方は全く変わるという印象派は、近代の哲学と不即不離の関係にあるのである。
<個性の世紀>
かくして、奇しくも19世紀末に印象派が残した個の自由な思想の尊重という哲学は、 20世紀の美術の流れを、「個の世紀」へと方向付けていった。
日本の美術に印象派が与えた影響は甚大である。 シンワアートアカデミー第3回「近代美術におけるサロン」で取り上げたように、黒田清輝はフランス留学で外光表現を取り入れ、山本芳翠らが日本に導入したアカデミックで重い色調の油絵に対し(脂派・やには)、
黒田は、印象派風の明るい色彩で対象を生き生きと描き(外光派・がいこうは)、日本の洋画を刷新した。
そうした洋画界全体の流れに対して、岸田劉生らはリアリズムを求めて北方ルネサンス絵画への回帰を見せ、そこからまた日本のフォービスムの流れが誕生していくことになる。
林武や児島善三郎が活躍し、日本フォーブの牙城と目された独立美術協会や、瀧口修造が支え、 山口薫・三岸好太郎らが取り組んだシュルレアリストの運動はそうした系譜に当たる。
<21世紀美術へ>
19世紀末にパリで産声を上げたインプレッショニズム・印象派。 その時代の思想に合致した芸術は、同じ時代の人々には広く支持されなくとも、
その後のモダンアートを「個の時代」として方向付けることとなった。そして時代と国境を超え、長きに渡って人々に愛されるようになったのである。
ある歴史家は「歴史は常に新しい」という格言を残している。 印象派が同じ時代では受け入れられずとも20世紀の人々に愛されたように、
1990年代のモダンアートが21世紀の芸術を左右すると言われる時代がいつか来るかもしれない。未だ評価の定まらない若手アーティストの作品や、一見して奇抜な現代の美術を見る時、
私たちは、未来の人々から「〜というアーティストと同時代の人々」として くくられる立場にあることを、忘れてはならないのである。
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