第三回 抽象芸術の世界
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  「第三期 戦後日本の美術」を締めくくる今回は、「抽象芸術」を取り上げる。 抽象は、20世紀美術を語る上で欠かすことの出来ない重要な流れであり、 この単語と意味をめぐって、これまでに美術史学上では膨大な議論が交わされてきた。

<美術史学における「抽象」>
  抽象画というと、20世紀の芸術であるイメージが強いのではないだろうか。 しかし、抽象は原始以来の芸術の基本的な傾向の一つで、本来、抽象芸術とは、自然な現実の再現を離れて、純粋な線・形・色によって造形された芸術の総称である。
たとえば、落書きのようなある単純な造形を思い起こしてみよう。 純粋な線で壁面に表現された牛――恐らく世界で最も有名な牛の絵、《ラスコー洞窟壁画》。 あるいは石塊に人体に似た凹凸を付けただけの、最古の彫像、《ディレンドルフのヴィーナス》。これら旧石器時代の人間が制作した造形についても、美術史学の理論上では抽象芸術の呼称を与えることが可能なのである。
ラスコー壁画の牛が優れた造形感覚をもって描かれていることは、 作品をよく観察すれば見て取ることができる。数多のすばらしい人体像を残したギリシャ彫刻ですら、見方によっては「純粋に」理想化された形態――即ち、抽象芸術なのである。

<A. Bar; ”Cubism and Abstract Art”>
  こうした幅広い意味を持つ“抽象”の概念について、 ある学者は20世紀の芸術に再適用して、 幾何学形態・有機的抽象、抽象表現主義などのさまざまな傾向に分類した。 ”Cubism and Abstract Art”(『立体派と抽象芸術』)でアルフレッド・バーは 「印象派よりモダン・アートへ」という図を示した。これは19世紀から20世紀の美術を、後期印象派から、キュビスム、未来派、ダダイスム、フォービスムなどを経て 「アプストラクト・アート」に至るまでの流れを、相関図で表したものである。 バーの語る芸術論によって、現在の私たちが思い起こす「抽象芸術=20世紀美術」というイメージが出来上がっていったのである。

<20世紀芸術と抽象>
  ヨーロッパにおける20世紀抽象芸術は、 セザンヌからピカソ、モンドリアンに至るキュビスムに端を発し、 カンディンスキーの表現主義、やがてダリのシュールレアリスムへたどり着く流れと、キリコの未来派、バウハウスへと枝分かれして抽象表現芸術に至る流れがある。
  抽象表現主義は、第二次世界大戦後におこった新しい運動を指す。アメリカのジャクソン・ポロックや、デ・クーニングらに代表される、奔放な筆触や絵の具を滴らせる技法を用いる。

<抽象、日本へ>
  日本における抽象芸術は、昭和に至るまでほとんど見られなかった。モダニスムを標榜し、はっきりと追及した初めの動きが、二科会であった。山口長男、吉原治良らは戦前から一貫して抽象芸術を志向し、色独自の美しさや空間の広がりを表現した。
  自由画美術協会もまた、抽象絵画の展開に大きな役割を果たした。村井正誠、山口薫、瑛九、そしてオノサト・トシノブ(小野里利信)は幾何形体を駆使した構成で日本にキュビスムを確立させた。

  また、自由美術協会や、二科会から派生した九室会などで活躍した芸術家の一部は、 独立し始めた女性たちであった。三岸節子、甲斐仁世、桂ゆき、佐伯米子らは 夫である画家と共に芸術家として生き、創立された女子美術学校に学ぶなどして大正デモクラシーに追い風を受けて社会進出を果たしていった。

<日本美術は抽象か>
  西洋美術の視点から見ると、琳派の屏風や絵巻物などの日本美術作品は、 時として抽象画に見えるようである。確かに、オノサトが描く幾何学的な抽象画と、 古典的な屏風絵《日月山水図屏風》のフォルムは近似している。室町時代に描かれた水墨画の空間処理は、20世紀にモンドリアンが展開させた抽象画に通じている。 そうした点に着目するならば、日本美術の造型感覚は西洋美術よりもかなり先んじていたと言うことができるかもしれない。先述のA.バーの規定によれば後期印象派から抽象芸術に至る流れの中の大きな要素として、日本の浮世絵が登場するのも、興味深い分析といえるだろう。

  しかし、両者の間には重大な差異がある。
19世紀末、印象派をあれほど早く、同時代的に輸入した日本が、 抽象芸術については四半世紀も遅れをとった背景には、 わが国には「合理主義」の理念が欠失していたからだと言われている。かたや江戸時代の屏風絵や水墨画の目指した形態の省略は、 自然を合理的に抽象化して表現しようとしたものではなく、 省略することによって無限の広がりを感じさせようとする禅宗の思想が込められている。かたや20世紀の抽象表現は、自然の形態に束縛されない自由な表現方法を模索することから生まれたものであった。つまり、前者は鑑賞者に自由な思考を与え、後者は芸術家の個性を表現しようとしたのであった。

 古典絵画と20世紀抽象画――同じように抽象化され、 同じ日本の風土で育まれた二つの作品を比較することによって、 より深く芸術を理解することができるようになる。そしてそうした作業こそが、日本美術の長い歴史を味わうことに繋がっていくのである。