上村松園 《うららか》
西の美人画

 

 

竹久夢二 《宵まち草》
夢二の美人画
第一回 美人画から出発した画家達
--------------------------------------------------------------
  今回から3回に分け、近代の日本画家がどのような修行を積んで芸術の完成に到達したかを見ていきたい。第一回は、浮世絵の美人画から出発した画家たちを取り上げる。

<美人画とは何か>
 「美人画」とは何か――美人画を、「美人を描いた絵」と定義するならば、はたして「美人」とは何か、そして「絵」とは何であろうか。例えば、ピカソの《アヴィニヨンの娘たち》は、「美人画」に含まれるのだろうか。その疑問を軸に、今回は美人画のルーツから辿ってみたい。

<庶民の芸術>
 美人画の歴史は300年以上前にさかのぼる。17世紀の江戸に誕生して明治の中頃まで作られた浮世絵には、人気の題材として、歌舞伎役者を描いた「役者絵」、物語や歴史上の武将を描いた「武者絵」、そして「美人絵」がある。江戸の町人は市川団十郎のブロマイド欲しさに写楽の役者絵を買い、ちまたで評判の美人が写し取ったポスターを求める感覚で春信の美人絵を手に入れた。
中でも一般市民の中の美人を題材とした春信や歌麿の美人絵は、広重や北斎の描く街道絵(かいどうえ)と並び、「庶民の芸術」として世界的に評価が高い。

<美人画のルーツ>
 近代の美人画は、浮世絵の末期にその「庶民の芸術」から題材を受け継いで産声をあげたと言われている。
  写楽と人気を争った歌川豊国には、際立った才能を持つ弟子が二人いた。国貞と、国芳である。国貞が三代豊国を襲名し、歌川派を継承させていくことになる一方、国芳は「玄治店派(げんやだなは。岡本玄治の屋敷跡で、役者達や国芳門の絵師が多く住んだ。)」と呼ばれる一派を形成した。
 二人はやがてそれぞれに大きな一門を構え、幕末には100名を越す絵師が二人の下に集ったという。玄治店は国芳から月岡芳年へと頭目が引き継がれ、文明開化を迎える頃には幼い水野年方が学ぶようになっていた。

<近代の美人画>
水野年方の弟子を挙げてみると、鏑木清方、池田輝方、池田蕉園がおり、さらに清方には伊東深水が師事した。また、同じ芳年の孫弟子には北野恒富が居る。彼らは皆、後に近代の美人画家として名をとどろかせることになるが、同じ浮世絵の美人画から出発した画家たちなのである。
伊東深水は次のように述懐している。

「――浮世絵画家の中には、清長とか、歌麿とか、春信とか、いろいろ代表的な画家があるが、これを現代の画家に見立てると、師匠の清方先生はやはり春信である。美しい夢があって、清潔である。それから先輩の松園女史は春章である。りっぱな技術があって、気品も高い。歌麿となるとむづかしいが、ロマンチックな夢が汪溢して一種のデフォルメがあり、高度の如何はともかくとして竹久夢二がこれにあてはめられよう。そこで、自分はということになるが、傾向として清長であると思っている。というのは、非常にリアルであって、割合に均衡が取れていて、すこし常識的で、そうしてエネルギッシュであること。まあ高度は別として、傾向として私は清長だと思う――。」

この深水の見事な描写で言い表されているように、現代を代表する美人画の多くには、浮世絵との共通項を見出すことができる。

<東の清方、西の松園>
 文展が東京と京都に分かれて開催されていたため、美人画の名手として、関東では鏑木清方、関西では上村松園が高名であった。松園は、京都四条派の流れを汲む文人画からスタートした。
お互いに同じ学校で学んだわけではないこれらの美人画家たちの関係を物語るエピソードとして、雅号(画家としての名前)のことがある。竹久夢二の雅号は私淑していた藤島武二からもらい、池田蕉園は、上村松園の妙技にあやかるべくその名を付けられたと言われている。
江戸時代、浮世絵は江戸、文人画は上方の文化であった。近代の美人画はそれぞれの流れを汲み、形を変えて大正期の文展に花開いたのである。

<第九回文展の美人画室>
 美人画ということばはいつ頃使われるようになったのだろうか。一般的には大正5年頃と言われている。と言うのは、大正4年の第九回文展で、折からの美人画ブームを受け、文展に美人画専用の一室が設けられたからである。当時、庶民の芸術、低級な芸術と見なされていた浮世絵にルーツを持つ美人画は、第九回文展で一室にまとめられて、批評家から集中的な非難を浴びた。
しかし一方で、明治末から玄治店派がさかんに描いた少女や婦人像は、三井呉服店(現、三越)の広告塔として世に「三井ごのみ」と称され、広まっていたし、竹久夢二は京都文展の会場の差し向かいで自身の初の個展を開催し、文展以上の入場者を集めるなど、美人画の人気は留まることを知らなかった。

<ピカソは美人画を描いたか>
 「美人画」は日本の美術に独得なことばである。なぜなら、美人画は美人の誉高い市井の女性を描いた浮世絵や、徹底した写実を追及した四条円山派など、日本美術の粋を極めた来歴を持つからである。ピカソの《アヴィニヨンの娘たち》が美人画に含まれるかどうかを考えてみた時、我が国が築いてきた独得の美術、美人画の魅力が再び明らかになる。